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松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと 松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと

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松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと。

2024/4/26

蘇るあの夏の松本

◉文=大久保修子 (Gallery sen) 挿画=中沢貴之

 2024年春号で松本のつくるひとにインタビュアーとして話を聞いたのは、松本市中山で手仕事の生活道具を紹介している「Gallery Sen」オーナー大久保修子(おおくぼしゅうこ)さん。つくり手に「突っ込んだ店」であることで、モノが生まれるまでのプロセスを共有し、道具と出会う喜びや長く愛着を持つ楽しみの場を創造している大久保さんは、2012年に京都から松本に移住をしてきた。その松本での思い出や感じたことを綴るエッセイ。

 2012年、夫の実家のある松本へ越してきた。

「結婚を機に」ではあるが、おそらくその言葉からイメージするだろう流れとは少し違い、松本で暮らしてみたくて夫には30回くらいプロポーズをした。最後は半ば仕方なく折れてくれたような状況ではあったが、何はともあれ私はまんまとUターンという切符を手に入れることに成功したのだった。

 松本に初めて訪れたのは20年近く前のお盆休み、当時まだ彼だった夫に白馬岳登山に連れて来られた時だった。登山自体が初めてで何をするのかもよく分かっていなかったが、白馬岳から白馬鑓ヶ岳へと縦走する2泊3日のコースだという。自由になるお金の少ない大学生はとにかくTシャツだけはモンベルで買って靴はナイキのスニーカーで登ることにした。

 やはりお金のなかった大学生は大きなザックを背負って地元京都から青春18きっぷで鈍行列車を乗り継ぎ、約6時間半をかけて松本の地に降り立った。カラっとした暑さの中、初めて歩く松本はお盆でもなんとなくがらんとしていて、駅前から伊勢町通り、中町通り、縄手通りとぐるっと歩き、「で、一番栄えてる場所は?」と聞くと「ここだよ」と言われ驚いたことをよく覚えている。そして山の景色に感動したことも。街から見えるあんなに近いところに夏なのに雪を纏った山がある。しかもそれは壁のようにずーっと向こうまで続いていて、空が真っ青だった。

 この時初めて彼の実家にも顔を出すことになるが、当時の私はなかなかファンキーなパーマヘアだった。多少緊張しながら初めて会った義母が不機嫌な様子だったので「やばい。これは印象が悪いぞ」と事前に好印象への策を練らなかったことを後悔したが、後に義母はその時たまたまとても疲れていただけでめちゃくちゃ優しい人だったことがわかりホッとすることになる。

 息子が彼女を連れて来るのが珍しくなかったか、関西弁がお気に召さなかったかなど一瞬色々と勘繰ったが、そりゃそうだ、息子もなかなか一般的なタイプではない。

††

 この夏の白馬では彼の同級生が一人同行してくれ、3人で登山を楽しんだ。登山前日に車で迎えに来てくれた友人とスーパーで買い出しをし、夜のうちに猿倉の登山口まで行って3人ぎゅうぎゅうになりながら車中泊。翌早朝、いよいよ登山開始だ。ポーズをキメて写真を撮ったり、ワイワイお喋りしながら意気揚々と登って行った。体力にはそこそこ、いやけっこうな自信があった。

 大雪渓へ差し掛かってもまだまだ元気だった。夏なのに雪があるというだけでテンションは上がり、もちろんナイキのスニーカーのまま(今ならすれ違う登山者にしこたま怒られるだろうか)雪の上をザクザクずるずる歩いた。けっこうなハイペースだったのか行き交う人に「お!元気だねぇ」なんて言われながら「楽勝楽勝」とか思っていた。

 が、岩室跡を超えたあたりからだっただろう、急激にHPが低下していく。足は上がらず息は上がり、食料は男2人に担いでもらって一番軽いはずのザックが置いて行きたくなるほど重い。どうして炎天下の中こんな岩がゴロゴロした坂道を歩いているのか。
この道はどこまで続くのか。暑さで意識は朦朧とするし、腕はみるみる日焼けするし、とにかくしんどい。

 もういい、ここまででいい。山頂なんて行かなくてもいい。

 なのにだ。初めて見る高山植物の可憐なお花畑、松本駅で見たよりずっと青い吸い込まれそうな空。宇宙のように深いその空を見上げながら、こんなに美しい世界があったんだと心が底の底から震えてしまった。しんどさとは天秤にかけるまでもなく、心の震えが圧勝していた。

††

 その後無事に白馬山荘まで辿り着き、翌日も縦走を楽しんで、白馬鑓温泉では標高2000mを超える天空の露天風呂(私は女湯の内風呂へ)も満喫し、駐車場に帰り着く頃には不思議と何か大きなことを成し遂げたような気分になっていた。ただ歩いてきただけなのに、北アルプスの大自然の力によって“生の実感”みたいなものに触れてしまったのだ。

「一度でいいからこの山の景色があるところで暮らしてみたい」

 寒いのが嫌で松本を離れた夫だったが、今はここでの暮らしが夫婦共に気に入っている。高い山に登ることはすっかりなくなってしまったが、近年では里山の楽しみを少しずつ知るようになり、冬の閑散期の間に裏山である高ボッチ高原や鉢伏山へ登ったり、近場の林の中を走るようにもなった。初めて降り立った“あの松本”のあとには、白馬で見た想い出の空のように深い深い松本が広がっていたのだ。

 ここでの暮らしを重ねるほどに、「わかりやすい松本」から「私しか知らない松本」へと興味が移っていく。この先もどんな松本と出会えるだろう。この冬12年ぶりに、昔よりはずいぶんと緩いパーマをあてた。

 あの夏の松本がふわりと蘇った。

大久保修子(おおくぼしゅうこ)
京都府生まれ松本市在住。美術畑で育ち結婚を機に長野県へ移住。夫が主宰する「大久保ハウス木工舎」の共同運営とともに、個人工房の手仕事を紹介する生活道具店を営む。“作り手と共に船を漕ぐ”を信条に、モノの紹介だけでない、モノづくりのプロセスを共有する。大きな動物が好き。
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