
2023/7/29
「窓」から見る松本
◉文=佐々木 新 挿画=中沢貴之
松本のつくるひとたちをインタビューして回った旅人インタビュアーが、松本で感じたことを綴る。松本を訪れたのは初めてという旅人は、いったいどんな松本を見つけたのだろうか。キーワード は「窓」だった。
朝、盛岡から新幹線に乗り、東京での小休憩を挟んで約7時間の道のり。松本に到着したのはその日の夕方だった。松本の地表を綺麗に洗浄するかのような強い西陽が私を出迎えた。連休だったこともあり、駅には観光客が多く、日本語だけではなく、英語、韓国語、中国語などさまざまな言語が飛び交っていて、松本が観光都市であることを早くも実感することになった。初日の宿となる「松本ホテル花月」へ、編集長の中沢さんと共にタクシーで向かい、荷物を下ろしてから、松本のまちを歩く。
長旅で空腹ではあったが、食欲を満たしたいというよりも、何かを発見したいという気持ちの方が強かった。旅人インタビュアーとして本プロジェクトに参加することが決まってからテーマを思案していたが、なかなか腑に落ちる答えを探すことができずにいたのだ。仕事の合間や休日、新幹線に乗車して松本へ向かっている時も、心の片隅で長い間、ぐるぐると逡巡し続けていた。松本の地に降り立って、何も感じるものがなければ、失敗の烙印を押されてしまうような過度なプレッシャーを自ら抱え込んでしまっていたのかもしれない。
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事前に考えていたのは、東京から故郷である盛岡に帰郷した移住者として、同じような経験を持つ、松本への移住者を取材してみたいということだった。行き着く先こそ違えど、同じ喜び、苦労や未来への不安があるのかもしれない。今回の旅で私はあたらしい地のあたらしい仲間に出会うことで何らかの発見をしたかった。共通点や差異から何かを見出し、共有することであたらしい人生の転機となるかもしれないと考えたのだ。
松本というあたらしい世界を理解しようと考える人間は、理解のための手がかりを求めて周囲を見まわす。そして当たり前の現実のうちからある一つの領域を選び出し、それを用いてあたらしい世界を理解できないかどうかを試みる。地形や自然のありよう、その振る舞い、人の流れ、佇まい、まちの音や醸成される空気感。共通なるもの、あるいは異質なものを峻別し、ひとつずつ整理をしていく。
私はあたらしい世界を知る上でインプットに必要不可欠な入り口のようなものを想像する時、「窓」を思い浮かべる。その「窓」は大きさや形、色、あるいはガラスのようなフィルターの有無など、それぞれ固有のものだ。機能的には、さしずめ心理学で言うところの既知のもので未知のものを理解しようとする方法「ルート・メタファー (基本的類比)」のようなものである。「心の窓」、あるいは、「認知の窓」と換言しても良いかもしれない。それを想像上で拵えて、偶然、写り込んだ風景を眺めてみる。全く知らない土地、人、世界を理解する際、最も身近な枠組みを利用して、簡易的にその像を結べないか試みるのだ。しかし、全く異なる文化圏や遠い世界であれば、私の「窓」は半ば閉ざされてしまうこともある。過去、一人旅で海外に数週間滞在した時は、その「窓」が閉ざされたこともあった。私はあたらしい世界に撥ね付けられ、ホテルで数日間過ごすことを余儀なくされた。
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昼間に松本のまちを歩き、夜間にホテルの中で瞼を閉じて、「窓」に映り込む景色を眺める日々が数日間続いた。最初、「窓」に映る景色には靄がかかっていた。厳冬の朝の窓のように、そこに映るものは色や輪郭がぼんやりと漂っているだけだった。しかし、松本の旅も半分を過ぎる頃には、その輪郭や色が明瞭になっていった。そこは私の故郷である盛岡と共通なるものが多く浮かび上がっていた。稜線が美しい山々に囲まれ、そこから溢れた出た水がやがて集積し川をかたちづくり、まちを横切るように流れる。生きとし生けるものの混ざり合う音。何かを生み出す活気ある音、観光客が往来する音、そして松本の日常を営むものの微かな生活音。私はコンパクトにまとまったまちを歩き、松本で長く暮らす人々と言葉を交わすうちに窓に映り込む景色が次第に色鮮やかになっていくことを見てとった。ここには小さなまちを愛する、心豊かな人々が生きている。
正確に比較すれば異なることは多く出てくるのだろうが、ここ松本には、私が幼少期から見てきた「窓」の景色とどこか似ているところがあるようだ。松本が故郷でない私でも、どこか懐かしい、日本の原風景がここにはあると感じたし、日本人が「還る」べき心の拠り所がまちの随所に、あるいは、人々に宿っているように映った。
取材を終えて帰路に着いた車中で、私自身の「窓」から映る景色だけでなく、「窓」自体も注意深く観察しないとわからないくらい微かだが変容していることに気づいた。「窓」は原体験を土台に人生のターニングポイントで様変わりをしていくことを体感で知っていたが、松本での体験が「窓」そのものを変形させていることに私は素直に驚いた。成人し、仕事も、家族もあまり変化が起きにくい安定した年齢に差し掛かったのにも関わらず変化が促されている。このテクストを書いている時点でも、私の「窓」は少しずつ変容を遂げ、形を留めていない。松本は、私の「窓」をかたちづくる、大切な場所のひとつになっていくのかもしれない。どうやらもう一度松本に訪れて、その微細な変化を確かめてみる必要がありそうだ。
- 佐々木新(ささきあらた)
- 岩手県盛岡市生まれ。ブランディングスタジオ「HITSFAMILY」にてクリエイティブ/アートディレクションを手がける傍ら、アートやデザインに特化したポータルサイト「HITSPAPER」の編集長を務める。2016年には、処女作である小説「わたしとあなたの物語」、2017年には、二作目となる小説『わたしたちと森の物語』を発表し、小説という媒体だけでなく、心を問題とした視覚表現と言語表現の間で、展示としても表現を試みている。