
2023/3/8
大久保ハウス木工舎/Gallery sen
使う人の声に寄り添う夫のものづくり
作る人に伴走する妻の場づくり
◉旅人インタビュー・文=川瀬佐千子 写真=木吉
松本市中山には、縄文時代の遺跡も多く古えより人々の暮らしがあった地域がある。かつて千石と呼ばれたその場所で、大久保公太郎(おおくぼこうたろう)さん・修子(しゅうこ)さん夫妻は暮らしと仕事を営んでいる。木工作家の公太郎さんが作るのは、木の調理道具やカトラリー。クラフトショップを運営する修子さんが扱っているのは、器や調理道具、布などの生活の道具。ふたりの親しみやすくも凛とした佇まいは、静かな信州の里山の風景にとてもよく似合っているような気がした。
自然の営みを感じる日々
「アトリエを構えるなら、景色の良いところでやりたいね、とふたりで話していたんです」
松本平を見下ろし遠くにアルプスの山々をのぞむ松本市中山。ここに、木工作家の大久保公太郎さんと修子さん夫妻は、自宅と工房、そして店を構えている。
ギャラリーsenからの風景
「僕はずっとこの工房にこもって仕事をしていますが、朝は東側の窓から日が差し込んで、1日の終わりには反対側の西の窓から山の向こうに日が落ちるのが見えます。冬は寒いので閉めていますが扉を開け放つと、春には目の前の桜が満開で、そのうちにふと目をあげると新緑になっていて、秋には葉が色づいている。ここにいながら、1日の変化も四季の変化も感じることができるんです」
公太郎さんがこの「大久保ハウス木工舎」で作っているのは、使う人に寄り添った形の木の道具。代表作の「木のヘラ」は多くの料理人に愛用されている逸品だ。ヤスリではなくかんな削りで仕上げた滑らかな表面、手に持ってすっと鍋のカーブに沿う形、鍋の中でほぐしたりさばいたり細かな作業ができる先端。使う人の声に応えた左利き用もある。
木のヘラを製作する公太郎さん
公太郎さんの工房に隣接するのが、生活の道具を扱うクラフトショップ「Gallery sen」。入口の大きなガラスの引き戸からアルプスの山々を臨むこの店は、修子さんの仕事場だ。長野で創作活動を展開する作家を中心に、生活の道具を扱っている。
「お店は、夫の作品を扱うために始めたわけではなくて。自分が使っていいなと思った道具を作る作家さんを応援したい、というのがここを始めた理由です」
「だからGallery senには、僕の木工道具も全部じゃなくて、彼女が選んだものだけしか並んでないんですよ」
ギャラリーsenの店内
ふたりが京都で育んだものづくりの心
修子さんは京都出身。地元の美術工芸高校のファッションアートコースから美術大学のテキスタイル科へ進学。京都市内で青春時代を過ごした。
「おばあちゃん子だったんです。おばあちゃんはオーダーメードの服を仕立てる洋裁の仕事をしていてそれを見て育ちました。私が初めてぬいぐるみのスカートを作ったのは3歳の時。とにかく作ることが好きで、自分はものづくりから一生離れられないだろうと思っていました」
一方の公太郎さんは松本育ち。10代の頃は山に囲まれた松本でいつも「外を見たい」「地元を出たい」と思っていたという。
「大学は富山にいきましたが、学生時代はとにかく旅する日々を送っていました。自転車やバイクで日本各地を、あるいはバックパッカーとして世界各地を。大学卒業後は就職してサラリーマンをやっていたのですが、『やっぱりもっといろいろな場所を見たい』と3年で辞めて、また旅をするようになったんです」
そんな公太郎さんが「住みたい」と感じたのが、西表島で出会った修子さんが暮らしていた京都。こまごまと碁盤の目のように交錯する路地の中に、古いものと新しいものが混在する街に惹かれた。
「南禅寺のライトアップがすごく美しかったのをよく覚えています。この街に住むためにはどうしたらいいか? よしここで働こう! と考えた時、短絡的なんですけど『せっかく京都なんだから、何か職人がいい』と思って、ハローワークに行って『なにか職人の仕事ありませんか?』と訊ねたんです。それで紹介されたのが木工でした」
大久保公太郎さん、修子さん
木という素材は日本人なら誰でも親しみがある素材だと感じて興味を持ったというが、そこには松本で親しんでいた民芸家具の影響もあったのではないだろうか。「そうかもしれませんね。思えば、おばちゃんの家とか身の回りに木の家具が当たり前のようにあってそれに触れていましたからね」と振り返る。
そして、公太郎さんがものづくりや職人に惹かれたのは、当時学生だった修子さんの影響もあったという。
「京都で彼女とその周りの美大の学生たちが、作品を作ってギャラリーを借りて発表するということを当たり前のようにやっていたんです。そういうものづくりに取り組む姿を目の当たりにして衝撃を受けました。のちに自分が木工作家という活動を始められたのは、あの頃に彼女たちの活動を見ていたことがとても大きいですね」
こうして公太郎さんはハローワークの紹介で建具屋で木工職人の修行を始めることになった。そして修子さんは大学卒業後に京都の老舗の染織工房に就職。それぞれ京都でものづくりの経験を重ねていった。
大久保ハウス木工の一角
松本での出会い、伴走者としての決意
結婚を機に長野に引っ越すことにしたのは、修子さんの強い要望だったそう。付き合いの中で松本の公太郎さんの実家に遊びに来たりしているうちに、すっかり山の景色に魅了されてしまったのだ。
「私は京都ではシェアハウスに暮らしていたんです。刺激的で本当に楽しい日々でした。でも、そういう日々の中で自分は受け身だなとも感じていて。自分が動かなくともまわりに人や物がやってくるわけですから。自分の力で暮らしてみたい、という思いがありました。それもあって、京都を離れてこの景色の中で暮らしてみたいと思ったんです」
公太郎さん自身も年齢を重ねて、故郷に対する思いが変わっていったという。
「10代の頃とは信州や松本に対する見え方や感じ方が違うんですね。たとえば、若い時はミッドセンチュリーとかインダストリアルなインテリアに惹かれましたが、松本民芸家具の良さも分かるようになってきた。外を見てきたから分かるというか、改めて松本という街に向き合って『いいな』と気持ちが動くようになりました」
そしてふたりは長野に移住し、松本で木工作家として工房を構えることを決めた。「景色の良いところがいいね」と話していた夫婦にとって、親戚の紹介で借りた今の場所は理想の場所だ。
「ただね、とにかく寒い! それだけは本当に大変ですけどね」と修子さんは苦笑いする。
河原崎貴さんの鉄のフライパンと公太郎さんの木のヘラ
実は2012年に工房を構えた当初、公太郎さんが手がけていたのは京都で身につけた技術を生かした建具だった。それが現在のような食にまつわる道具の制作に変わったのは2014年ごろ。初めのきっかけは、修子さんのリクエストだった。
「Gallery senでも扱っている河原崎貴さんの鉄の中華鍋を以前から愛用しているんですが、その鍋で使うヘラが欲しくて夫にお願いしたんです」
リクエストを受けた公太郎さんはさっそく試作。
「松本に帰ってきてから、木の道具を目にすることがいろいろありました。クラフトフェアとか道具の店とか。そういう木の道具の存在を知りその形を見ることで、作ったことがなくても『自分で作ってみよう』『自分の技術でできそうだ』と思えました」
そうやって生まれたのがかんな仕上げの木のヘラ。その年のクラフトフェアに出品すると、ある料理人の目に止まった。松本で「アルプスごはん」を営む金子健一さんだ。木のヘラ・ハンターを自称する金子さんから、他の料理家や飲食店を経営する料理人に公太郎さんの木のヘラが広がっていった。
「金子さんには本当に足を向けて寝られません。食プロのみなさんから使い手として厳しい目線で意見をもらうことができたのはありがたかったですね」
木のヘラはひとつひとつ表情が違う
一方で「ものづくりから離れられない」と思っていた修子さんは、別の思いを抱くようになっていた。
「夫のものづくりをそばで見ていて、『こんなに走れる人がいるんだから、私はサポートをしよう』と思うようになりました」
この工房で公太郎さんが建具を作っていた頃は、修子さんは作業の手伝いをしていたそう。木材の面取りをしたり表面のサンディングをしたり、あるいは作業する木を支えたり。しかし、公太郎さんが木のヘラを機に小さな生活の道具を作るようになると、手伝うことがなくなってしまった修子さんは考えた。
「建具のショールームにしようかと思っていた場所を、ショップにすることにしたんです。夫の伴走だけでなく、もっと多くの作家さんたちの伴走をするために」
長野県で作陶している及川恵理子さんの器
修子さんが今イチオシの木工ヤマニのスパイスミル
ヤマジョウの水差しとガラス工房玄々舎の皿
ものづくりのサイクルを回す手と目
築150年をこえる古民家の改装は2年がかりで自分たちで行なった。もちろん建具を手がけたのは公太郎さんだ。そうしてできたGallery senには、修子さんが自分で使って「この人と一緒に舟を漕ぎたい」と感じた作家のアイテムが並ぶ。現在扱っている作家は10名以上。ガラスや鉄もの、竹細工や陶器、布、そして公太郎さんの木工だ。
「単純にいいものを使う人に届けるというだけでなく、作家さんと一緒にものづくりをしよう、一緒に考えたいという気持ちがあるんです。ものづくりには痛みや苦しみも伴うことはよく知っているし、作家さんに何かあったらすぐ駆けつけたい。駆けつけられる距離ということで、自然と長野の作家さんが多くなったという感じです。そういう作り手の伴走者という自分のあり方は、商売ではなく生き方として選んだものだと思っています」
建築当時の小舞を見せているGallery senの入口の壁
たとえば昨年は、地域で昔から作られてきた「松本箒」の作り手の元へ通って、箒の原料となる箒もろこしの栽培にまつわる農家しごとを手伝った。春に種を植えて夏に収穫し乾燥させる。特に猛暑の中での収穫や脱穀などの作業は、本当に重労働だったという
「農作物を作っている方は、気候変動をダイレクトに感じています。ものづくりと気候変動は一見関係ないようにも思えますが、自然の素材を使っている以上、切り離せない問題なのだと改めて感じました」
修子さんがそういった体験をすることは、公太郎さんのものづくりにも作用する。大久保ハウス木工舎でも、なるべく輸送の際の環境負荷が少ない地元の木材を使うように心がけるなどの意識をするようになったそう。
「僕は工房にこもって木を削り続けているけれど、彼女やGallery senを通じて見えるものがあるんですね。売る人の気持ちや買う人の気持ちを知ることができるのもそうです。だからうちではよく言うんです、彼女が目で僕が手だって」
河原崎貴さんの鉄皿
公太郎さんは自身のものづくりを「あつらえ」だという。人の気持ちに触れて、その気持ちに答えるものを作る。そういうものづくりのサイクルを、夫婦でそれぞれ手と目となって回しているのだと思った。
「やっぱり工房で作業しているときが一番リラックスするかなあ」という公太郎さんに「催事や展示でいろいろなところに行って松本に戻ってくると、匂いで帰ってきたなと思う」という修子さん。これからもこの見晴らしの良い場所で、ふたりの暮らしと仕事は続いていく。
最近はSNSを通じて海外の人から連絡をもらうことも多いという。特に公太郎さんの使うかんなは日本独自の道具であり、作品がかんな仕上げであることやかんなという道具自体への注目も高まっているんだそうだ。今年はアメリカにかんなの使い方を教えにいく機会もありそうだという。
「自分が直感で感じたこと、気持ちが動いたことをやってきて、今こうして思いがけず広がっていくのはうれしいですね」
「だから最近よく話しているんです。『削り続けてきてよかったね』って」