
2023/7/29
YANOBI
様式美を越えて
無意識のうちに
美しいと感じるものづくり
◉旅人インタビュー・文=佐々木 新 写真=砺波周平
『YANOBI』は、プロダクト・工藝デザイナーである井出八州(いでやしま )さんとグラフィックデザイナーである北原美菜子(きたはらみなこ )さんによるデザインユニット。長野県松本市の「マツモトアートセンター」で出会ったふたりは、夫婦であり、仕事のパートナーでもある。『YANOBI』のデザインで特長的なことは、奇を衒うことよりも現場の技術をより突出させ、魅力が伝わるような配慮がなされていること。シンプルさ、美しい余白が使い手の心を豊かにする。子どもが生まれたことをきっかけに、ふたりが東京を離れて地元に戻ったのは2017年のこと。安曇野から松本に移住した現在、どのような暮らしをおくり、仕事へ 向き合っているのだろうか。美しいものづくりをする『YANOBI』の秘密が隠された、夫妻の自宅事務所を訪ねた。
「YANOBI」 の種
現在、プロダクト・工藝デザイナーとして活動している八州さんは、幼少期から手で何かをつくることが好きだった。粘土、ブロックなど、工作が好きになったのは、環境に依るところが大きかったかもしれない。長野県の三郷村 (現・安曇野市) で生まれた八州さんは、りんご畑に囲まれた地で、早朝から畑で、縄文土器の破片を拾い蒐集していたという。そのような原体験を持つ八州さんが成長する過程で、美術に興味を持ったのは自然の成り行きだったのだろう。高校生一年生の頃から美大を目指し、美大・芸大受験予備校「マツモトアートセンター」に通い始め、一年浪人の末、多摩美術大学に入学する。
松本平を一望できる里山にある自宅事務所
建築を学びたいと考えていた八州さんは、多摩美術大学の環境デザイン学科が第一志望だったが、2浪はできないということもあり、多摩美術大学の二部に入学。しかし、やはりその想いは捨てきれずに学部2年生の時に、転学部試験を受け、晴れて環境デザイン学科に転科することになる。大学での勉学も刺激的だったが、気の合う友人と過ごす時間が楽しかったという。
井出八州さん(右)
長野県伊那市で生まれ育った美菜子さんが、美術やデザインに興味を持ち始めたのは、中学生から高校生くらいの時だった。古本屋で見つけた雑誌「流行通信」や「装苑」などに掲載されていたインテリアに惹かれたのが最初の契機だった。興味を持ったものの、絵が特別に上手いという認識はなく、美大よりも一般の大学にあるデザイン科に入学するのだろうと考えていたという。しかし、ある時、「美大に入学する為の相談に行くから付き合って」と友人に誘われて、一緒に美術部に入り、最終的には「マツモトアートセンター」に通って美大を目指すことになった。その後、一年浪人して、多摩美術大学の二部に入学する。多摩美術大学は二部ということもあり社会人との交流が面白かったという美菜子さん。授業がない昼間はアート・デザイン・建築の複合イベント「Central East Tokyo」などでボランティアをして人脈を広げていった。
北原美菜子さん(左)
ふたりの名前、「八」と「美」が含まれた造語「八 (や) の美 (び)」をローマ字読みにしたユニット「YANOBI」 は、こうして「マツモトアートセンター」で初めて邂逅し、多摩美術大学時代、東京での社会人時代を経て、2011年に結成されることになる。
自宅事務所からは北アルプスの山々が展望できる
自分の手の中で完結していく感覚が好き
大学生活の終盤、いよいよ就職活動が始まり、周囲の友人が大手の建築事務所やデザイン事務所への内定を決めていく最中、八州さんは専攻していた建築やインテリアではなく、工芸への興味を強めていった。
「予備校時代は建築と聞くと空間芸術というイメージで単純な憧れがありました。しかし、実際、課題をこなす中で建築設計をするより手を動かして家具をつくる方が楽しいと感じるようになっていました。三学共同で江戸川区の漆職人さんとコラボレーションして商品開発をするプロジェクトを通じて、あらためて自分の手の中で完結していく感覚が好きだとわかってきました。単純な憧れで建築科を専攻したのですが、そのおかげで本当に自分が興味があるものを発見できたような気がします」
プロダクトをつくる元となるものたち
自らの関心を再確認した八州さんは、卒業製作で器を製作することを決意し、ゼミの教授に有田焼の窯元を紹介してもらい、窯元から住み込みで製作の手伝いをいただける機会を手に入れた。現代における日本の文化創造というコンセプトのもと、建築、インテリア、 プロダクト、グラフィック等多岐に渡るデザイン活動を行う「SIMPLICITY」との接点はここで生まれた。偶然、住み込み先の窯元が、「SIMPLICITY」の器の制作を請け負っていたのだ。憧れの存在であり、実際、ものづくりの理念に触れて更に強い共感を覚えたという。
オフィスの様子
「窯元さんに『SIMPLICITY』を紹介してもらい、一度面接に行ったのですが募集もされていなかったので即断られました。それでも、諦められなかったのでもう一度お話しさせてほしいとお願いしました。二度目も難しいと断られたのですが、卒業製作の作品が完成したタイミングで、作品だけでも見てほしいと三度目のお願いをしてようやく拾ってもらいました。他の就職先はイメージできず、僕には『SIMPLICITY』しか考えられませんでした」
「SIMPLICITY」では、日本全国の職人と共に制作する「Sゝゝ(エス)」のプロダクトデザインを担当していた八州さん。工芸品の産地に入ってものをづくりして満足するような助成金事業プロジェクトではなく、職人までしっかり資金が回る仕組みづくりなど、ブランドと産地を一緒に育てていくという理念のもと仕事に取り組んでいたという。
仕組みづくりまでを含めたものづくりを大切にする
子どもを育てることを想像すると
長野に戻ることしか考えられなかった
就職活動をしていた時はなかなか採用が決まらず、デザイナーへの道を半ば諦めてかけていた美菜子さんは、当時、美術館の学芸員などに応募をしていた。しかし、ここでも流れを変えたのは友人だった。ある日、友人からデザイン事務所「ブルーマーク」の求人募集を知らされる。もともとブルーマークのデザインには惹かれていた美菜子さんは迷うことなく応募し、無事に採用が決定。その後、アシスタントとしてデザインを行なっていたが、数年後、そろそろ自分ひとりで制作できるようにならなければいけないと決意して独立を果たす。
日々、ふたりは席を並べて制作をしている
八州さんの独立の契機は、ものづくりの現場の底上げを志したからだった。「SIMPLICITY」は、世界的にも注目される旗振り役とも言える存在だからこそ、独立した自分は、より現場の職人に寄り添った動きにも力を入れたいと感じたことが契機だった。プロデュースする側と現場のパワーバランスを調和させて乖離しないように働きかける。そのような役割を担う為に外部契約という形が適していると考えたという。
ふたりが独立して、長野に戻るという選択をしたのは、いくつかの要因が重なったからだった。最初は東日本大震災が起こり、いずれは長野に帰郷したいという想いが生まれたが、仕事の問題もありすぐには実現しなかった。大きな契機になったのは子どもを授かったことで、美菜子さんとしては子どもを育てることを想像すると長野に戻ることしか考えられなかったという。一方、八州さんは収入が一番の心配ごとだった。しかし、東京を離れても引き続き外部契約すると「SIMPLICITY」に背中を押してもらうことで、長野への移住を決めた。
ジャンルの異なるふたりが相談してものづくりが出来るのも、ユニットならではの強み
早く寝て日の出と共に起きる子ども中心の生活
2017年移住したばかりの頃は安曇野で暮らしていたふたりだったが、より暮らしやすい拠点を求めて2019年には松本に移る。
東京でのふたり暮らしから子どもが増えて四人家族なったことで生活にも変化が生まれた。八州さんは東京時代は遅く帰宅して夜中まで起きていたが、現在は夜8時半ぐらいに子どもと一緒に寝て、朝の3時~4時くらいには起床するという静かな生活になり、美菜子さんは子どもを寝かしつけてもらっている間に諸々家事を済ませて、夜11時ぐらいに就寝、朝6時に起きるルーティーンになった。
日差しの良い広々としたキッチン
食器やカラトリーもきれいに整頓
子ども中心の時間の流れになり、いつしか早く寝て日の出と共に起きるスタイルに変わっていった。また、子どもが生まれたことで、環境への意識も変わった。子どもたちの口に入る食べ物や、毎日ふれる器は小さい頃から、しっかり良いものを整えてあげたいと意識するようになったという。
八州さんが取材当日に出してくれた安曇野産のりんご
りんごはプロダクト・デザイナーらしく美しい16等分
奇を衒うことよりも
現場の技術を突出させて魅力を伝える
「YANOBI」がデザインする上で大切にしているコンセプトは、奇を衒うことよりも現場の技術を突出させて、魅力が伝わるようにすること。シンプルで見やすいこと、その中でも配置で見え方が変わったり、余白が綺麗に見えるということを意識しているという。ふたりの名前「八」と「美」が含まれた造語「八の美」という名の通り、様式美を越えて無意識のうちに美しいと感じるものづくりが作品に顕現している。それらの作品の一端をご紹介したい。
『波茶筒 櫻井』は、明治8年に創業された京都の開化堂が製作を担った、保存用の道具として用いられている茶筒に「掬う」機能を加え、新しい可能性を引き出したもの。茶筒を持ってから茶葉を急須に入れる所作を美しくしたいという想いから、茶匙を使用しない想定で設計されている。紙模型では作りやすいが、金属で再現するには非常に高い職人技術が必要だという。
シンプルなフォルムと高い技術が組み合わさる茶筒
蓋を外すと茶匙にもなる
なめらかな曲線が寸分たがわず組み合わさる
『剝木板皿(へぎいたざら)』は、木を「へぐ」という縄文人も行っていた技術を駆使した作品。木曽の樹齢300年近い、日照時間が短く冬も寒い中で育った密度が高い天然木を使用している為、綺麗に「へぐ」ことが可能になっている。国内でも僅か数名しかいない木曽の「へぎ」職人に特別な材料を分けていただいているという。
板皿を束ねる紐にも気を配る。この紐は米澤ほうき工房の米澤資修さんに教えてもらったも蝋引の麻紐
木材を均等に割る「へぐ」という高い技術により産まれた板皿は、木目に沿ってぴたりと重なる
木材を「へぐ」ことにより生まれる木目
『KITTACHI KETTLE』は、鎚起銅器の産地として名高い新潟県燕にて製作されている「Analogue Life」のオリジナルケトル。伝統技術と現代的な技術を兼ね備え、革新的なプロダクトを生み出している「鍛工舎」との協働の、金属板が回転している型にコテで押し付けて成形していく「へら絞り」という技術が使用されている。熱の伝導が伝わりにくい蓋の摘みや、光によって独特な色味を生み出す銅など細やかな工夫が施されている。
多くの高い技術が凝縮されて生み出されたYANOBIの代表作とも言えるケトル
(写真提供=AnalogueLife/Photo: Ian Orgias ※画像の転載・転送を固く禁じます)
『器の美卋』『道具の美卋』『裝の美卋』は、松本アートセンターで八州さんが開催した展示。展示をするなら道具屋の店主になりたいと考えた八州さんは、世の中に見せるために棚を作って商品を置いたことが起源となる、鎌倉時代に生まれた市場の総称「見世棚」からインスピレーションを受けて“世”の古字である「卋」という漢字を使用したという。「卋」は、十年を三回重ねるという意味で、世の中が永く続いていくという意味を持つ。工藝がこれからも続いて欲しいという願いが込めれた八州さんらしい展示だ。
『裝の美卋』(左)、『道具の美卋』『裝の美卋』(右)のDM
展示のDMは美菜子さんがデザイン
継承されない技術を繋ぐ
神社仏閣は古くから続く歴史的な建造物が多く、改築や取り壊しなどの際には端材が出る。それらを工房が引き取り、新しいものにつくりかえるプロジェクト「annulus project」に八州さんは参加している。そこで、利休がつくった茶室の屋根材を使用した茶筒の制作を通じて、木曽の天然木も尾張藩が管理している国有林であることや、大阪城をつくる時も木曽の木を使っていることなど、松本に移住したことで、材料や技術への知識がさらに深まったという。また、松本で発足した長野県民藝協会に入会し、今後は学んだことを伝える側として情報発信もしていきたいと考えているという。
茶室の屋根材が茶筒に生まれ変わる
歴史を深く感じさせる屋根材
茶筒を開けた内には銅が使われている
「以前は松本には何もないと思っていたのですが、戻ってきて、こんなに豊かな文化があることに驚きました。そして、それらのうちのいくつかは後継の問題などで継承されないということも知りました。私が何人もいたら弟子になって継ぎたいぐらいですが、まだまだ出会えていない工藝ばかりですので、越境した技術を継承していくために、デザインを通して人と人を繋げることを続けていきたいと思っています。時間がかかることなので、着実に積み重ねていきたいです」
足りないものを補い合うパートナー
パートナーでありながら、仕事としてはそれぞれの専門がプロダクトとグラフィックというジャンルが異なっていることも「YANOBI」の強みと言えるかもしれない。基底となるコンセプトは共有しながら複眼視点によって一貫したブランディングがなされているように感じられた。生活を共にする夫婦であり、学生時代からの友人であるふたりの息はぴったりだ。
生活におけるパートナーでもあるふたりの息はぴったり
「ジャンルが異なるのでユーザーとしての意見を各々が伝えられることが良いと感じています。同じブランドで、プロダクトとグラフィック周りを同時に制作する機会もあります。コンセプトを共有しながら一貫してブランドの世界観を構築できるのは、お互い足りないものを補い合えるパートナーがいるからだと思っています」
隅々まで空間の美しさを感じる新居
プロダクトに限らず、グラフィックを含めたブランディングに携わっている作品もご紹介したい。
『草譯』は、ジン専門店「KINO」を経営しているオーナーがアルコールを飲める人も、飲めない人にも楽しんでもらう為に開発した“草根木皮飲料”。シンプルなパッケージデザインで、シロップの美しい色を引き立たせている。
ラベルを貼らない独創的な『草譯』のパッケージデザイン
直角四つ折り×巻き四つ折りという二重の折り加工された『草譯』のパンフレット
折り加工を再現するため薄い梱包用紙を使用し、裏抜けの少ないUV印刷で印刷
プロダクトと同じくグラフィックデザインにおいても細部まで技術に気を配る
『Jeweki』は、「丸嘉小坂漆器店」と「ハリオランプワークファクトリー」のコラボアクセサリー。ガラスに漆を塗る技術を使用して、漆の液体が滴る形を表現している。漆の可能性を引き出すだけでなく、新しいジュエリーの可能性まで拡げた美しい作品。ブランドの魅力を引き立たせるパンフレットなどのグラフィックデザインも手掛けている。
『Jeweki』のパンフレット
八州さんがジュエリーデザインを、美菜子さんがパンフレットのデザイン担当したプロジェクト
技術を生かしてジュエリーの可能性をも広げているYANOBIらしい発想
『シシ七十二候』は、養蜂で採取された蜂蜜を使った化粧品ブランドで、ロゴや商品パッケージ、書籍のデザインなどのブランディングを行なっている。ロゴは、獅子と蝶をあらわす古い家紋からインスピレーションを受けて制作。書籍「ハチのいない蜂飼い」では、装丁とエディトリアルデザインを担当し、今後も日本の一番細かい四季 ”七十二候”に合わせて商品開発がなされていく予定だという。
『シシ七十二候』ではトータルブランディングを手掛けている
書籍「ハチのいない蜂飼い」
『諏訪の酒と、』は、長野県酒造組合諏訪支部から発行されている、日本酒を中心としたお酒と料理のペアリングを提案するテイスティングブック。諏訪・岡谷エリアにある九蔵の酒蔵の魅力を伝えるという目的で制作された。28種類の料理を旅館「犀北館」のシェフが担当し、たった2日間で撮影が行われたという。編集・スタイリング・デザインを一括してYANOBIが担当し、フリーペーパーとは思えない豪華な装丁と諏訪の綺麗な水を想起させるブルーが印象的な一冊。
上製本でありながらフリーペーパーという豪華な仕様
タイトルや見返しに諏訪の水をイメージしたブルーが印象的に配置されている
パンフレット内の写真に写るのは八州さんがデザインしたプレート
生活する手段としてデザインがある
質の高いデザインで伝統的な技術を繋ぎ、地域にも貢献している「YANOBI」。しかしながら、美菜子さんにとって大切なことは現在の生活だという。
自宅事務所の庭にはこれから芝生を植えていく
「生活する手段としてデザインがあり、毎日子どもたちと食事を囲めることが大切です。無理して身体を壊したり、子どもたちに向き合う時間がなくなるまで仕事をするのではなく、バランスよく暮らす。それが世の中のスタンダードになったら嬉しい。現在、ご一緒させていただいている方々も同じような想いを持っている人が多いと感じています」
生活を大切にするふたりにとって、子どもたちの成長や変化を傍で見守ることができることは喜ばしいこと。自宅事務所という環境も大きく、子たちが自由に伸び伸びと過ごしている姿を見ると、この土地に移住してきて本当によかったと感じるという。
自宅事務所の大きな窓から松本平を見渡すふたり
長野の生活において「食」も欠かせない。東京時代に比べて、地元の豊かな食材を使用した手料理が食卓に並ぶことが多くなると同時に、ふたりにとっては未開の地である松本の名店やB級グルメも愉しんでいるという。また、「食」を通じて人との繋がりも生まれている。ご近所の農家さんから採れたての野菜を貰う機会が増え、お返しに仕事で携わった商品や作品を渡したりすることを契機に、コミュニケーションが生まれ、地元の人間関係が築かれている。
ふたりの新居は松本の町を見渡せる小さな山の中腹に建てられているが、その空間はまさに生活の基盤となるものが調和した場所だった。そこで子どもたちと共に暮らしを営むふたりには、行き過ぎた競争社会から離れて、地域と繋がりながら、本来の豊かさを問う眼差しが感じられた。
里山での生活に季節の移り変わりを伝えてくれる山の木々たち
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