
2024/2/14
鉢伏山荘(冬期営業)
山と街で
そこにある美しさを見つめる
◉旅人インタビュー・文=徳 瑠里香 写真=河谷俊輔
北アルプスや松本平が見渡せる「鉢伏山」(※1)。山頂にほど近いところにある「鉢伏山荘(はちぶせさんそう)」は今シーズンから冬季営業を本格的に開始した。雪が降りインフラの確保が難しいため、多くの山小屋がオフシーズンとなる冬にどうして、「鉢伏山荘」を開くことになったのか。その背景には、ひとりの女性のピュアな情熱と友情と、人生の足跡があった。
冬季、実験営業中
「鉢伏山荘」の冬季営業が始まる1週間前の金曜日。山小屋に一泊させてもらう予定だったけれど、夕方から雨が降り翌日に気温が一気に下がることで、アイスバンの危険があるため日帰りで訪ねることに。麓のファーマーズマーケットで、冬の「鉢伏山荘」を営む奥山愛さんと杉山優子さんと落ち合い、ふたりのジムニーに挟まれて、車で山道を登る。窓の外に広がる木々たちは少しずつ表情を変えていく。鹿やカモシカ、リスも出るらしい(が遭遇しなかった)。光が差し込む開けた場所からは諏訪湖と街が見渡せる。
標高が高くなっていることを知らせるように耳が遠くなり、急に視界が抜けて、霧が立つ空と笹で覆われた黄土色の草原に目を奪われる。その先に小屋がある。車を止めて降りると冷たい風が吹き寄せて、ものの1時間もしないうちにすっぽりと異世界に包まれた。
毎年5月中旬から11月上旬の期間に営業する「鉢伏山荘」(冬期は閉館)
左から食堂棟、「鉢伏山荘」、冬期営業をする宿泊棟
山頂まで徒歩20分の場所にある「鉢伏山荘」。まずは冬の宿泊棟を見学させてもらう。そこは山小屋の勝手なイメージを覆す、コンクリートの打ちっぱなしで、マリオが飛び出てくる土管さながらの地下から天井を貫く空洞が2つ(屋根まで登れる梯子あり)、全方位に窓があり、丸い和紙の照明がかかるモダンな空間だった。
「ここは2000年にトイレ棟として建設されたんですが、この不思議な構造にどんな意図があったのかはわかりません。『鉢伏山荘』のオーナーは現在3代目で、先代から今までオーナーは共通して、鉢伏山の自然を守りたいという思いで山小屋を経営してきたそうです」(奥山さん)
食堂棟(左)と冬期営業の宿泊棟(右)
冬期営業の宿泊棟内部はモダンな内装
開業以来、「鉢伏山荘」の営業期間は5月中旬から11月上旬までで、ほかの多くの山小屋と同じく冬季はオフシーズンだった。「だった」というのは、昨シーズン(2022年12月末〜2023年3月末)から試験的に冬季営業を開始、今シーズン(2023年12月末〜2024年3月末)から本格的に始動する。
宿泊できるのは土日のみ、定員は7〜8名までの要予約制。宿泊棟のすぐそばの食堂では、夜は松本の名店の本格的なレトルトカレー(5種から選択)と小鉢が食べられる。朝ごはんは、「松本むすび農園」の野菜をつかったミネストローネと「松川パン商店」と「Ciel」のパン、今年から食材乾燥機でつくるドライ野菜を活用したリゾットが提供される。ほかにも「善哉酒造」の日本酒など、山の上でも松本の味が楽しめる。日中は、コーヒーやココア、ワインにおしるこなど温かいドリンクの喫茶メニューも展開。
なるべく土地のものを出したいと松本の地元食材を使った食堂のメニュー
「昨年は試験営業だったけど、今年は実験営業です」とふたりは目を合わせて笑う。とはいえ、気温が低く、車道が冬期通行止めとなる冬は、水や電気、トイレの確保など生活のインフラを整える条件が厳しい。それでもどうして、冬の鉢伏山荘を開こうと思ったのだろう。食堂に移動して、じっくり話を聞いた。
5~6月かけての鉢伏山はレンゲツツジの群生が見られる
冬の雪山で暮らしたいから
「外とあまり気温が変わらない」という受付兼食堂の小屋で発電機を回して電気をつけ、ダルマストーブに薪をくべ、石油ストーブの上で温めたお湯でコーヒーを淹れてくれた。いつの間にか、窓の外は真っ白な霧に包まれ、強い風が吹き荒れている。「鉢伏山荘」の冬季営業中、この小屋でふたりはお客さんに食事やドリンクを提供しながら、寝泊まりしている。
「雪山が好きなんですよね。この場所にいたい、この場所で暮らしたいというのが、冬季営業を始めたいちばんの動機かもしれません」(奥山さん)
山での一日は食堂の薪ストーブに火を入れるところから始まる
奥山さんは10年以上、4月下旬から11月上旬までの山のシーズンは、北アルプス「穂高岳山荘」で働いていた。休みの日やオフシーズンの冬場に裏山感覚で登っていたのが鉢伏山だった。
「冬の本格的な山は危険で緊張するんですよね。でもここは標高が1,929mの低山でリスクも低く割と登りやすい。自宅が麓にあるので、天気がいい日によく登りに来てたんです。山頂からは、松本平が見渡せて、北・中央・南アルプス・八ヶ岳に、諏訪湖の奥に富士山も見える。冬は特に、新雪のあとの晴れた青い空と真っ白な霧氷が美しくて、楽園みたい。静かだしのんびりするにはいい場所だなあ、冬の山小屋もやったらいいのにってずっと思っていたんです。なんなら私がやるのにって(笑)」(奥山さん)
どこか居心地の良い食堂
「鉢伏山荘」の冬期営業を運営する奥山愛さん(左)と杉山優子さん(右)
そんな思いを山でつながった友だちの杉山さんに打ち明けたところから、話はとんとん拍子に進んでいった。
「もし冬の山荘をやることになったら、絶対にひとりではできないから誰かとやりたい。でも誰でもいいわけじゃなくて。優子さんとやりたい、と思ったんです。私の勝手なイマジネーションで、できるかどうかもわからなかったんですが。ひとまずふたりで『鉢伏山荘』に行ってみることにしました」(奥山さん)
湧き水で淹れたコーヒーの匂いが食堂に広がる
山からひいた水はタンクに貯めている
2021年のシーズンが終わる秋にふたりで鉢伏山に登り、山小屋に泊まった。そこで初めて会ったオーナーに冬季営業を提案した。
「冬、絶対やったほうがいいですよ、なんならやりますよってだいぶプッシュして。オーナーは冬は登れないから任せられるならいいよってその場で言ってくれて、そこからが早かった。翌年2022年の初夏、レンゲツツジが咲く時期に雑誌『PEAKS』が取材に来たんですが、オーナーがそこで冬季営業もしますって話して記事になっちゃったんですよ。数年後かなあとのんびり構えていたので、え?すぐやらなきゃじゃん!って焦って準備を始めました」(奥山さん)
来客される方の布団の用意も
清潔感のあるコンクリート打ちっぱなしの宿泊棟
小屋はあっても、厳冬期、水をはじめ生活に必要なものをどう確保するのか課題もあった。ふたりは一つ一つ検証しながらクリアにしていった。
水は小屋から100m先にある湧水が貯まる地下のタンクから、ポンプの動力を使ってパイプで食堂の500Lのタンクに流したものを使うことに。電気は発電機を回し、工事をして20年以上使われていなかったソーラーパネルも活用。トイレは、給水パットが入ったビニールを便座にかけて尿を足した後に縛って捨てる「携帯トイレ」を導入。冬期営業に必要な最低限のものを持ち出しで購入し、雪が降る前に車で荷物を運んだ。そして、2022年の冬、人件費を含まない経費の回収を目標に、1泊7,700円(通常1泊12,000円)で試験営業を開始。
山荘近くに貴重な湧き水があることは奇跡に近いと奥山さん
「実際に冬季にできるかどうかはわからなかったので、週末に私たちがここで暮らしながら、知り合いを中心に声をかけてお客さんを受け入れてみようと。不安もあったので、試験営業を全面的に打ち出してまったく宣伝もしなかったんですが、『信濃毎日新聞』さんと『山と渓谷』さんが取り上げてくれて、そこから一般のお客さんからも問い合わせがきて。結果的に140名の方にお越しいただきました。大きなトラブルもなく、ご好評いただけたので、本オープンすることにしました」
こうして、冬の鉢伏山荘の幕が開けた。
「鉢伏山荘」から見る幻想的な夕暮れはまるで海外の景色のよう
「山にいる」暮らしのはじまり
冬の鉢伏山で暮らしたい。美しい雪景色を共有したい。奥山さんのそんな情熱からスタートした「鉢伏山荘」の冬季営業。ひらめきのように湧いてくる自分のやりたい気持ちに素直に、とりあえず飛び込んでみる。今回に限らず、奥山さんはそんなふうに人生を進めてきた。
海の近く、神奈川の三浦・横須賀で生まれ育った奥山さんは、山好きの両親と幼い頃から山に登っていた。幼稚園の頃は背負われて丹沢へ。小学6年生の頃には標高3,190mの奥穂高岳に登頂。以来夏場は、家族で北アルプスを中心に山に登った。
意外にも子どもの頃は山が嫌いだったそう
「子どもの頃は山が嫌いだったんです。疲れるししんどいし、親に連れていかれるから登っているだけ。でも、看護学校に通っていたときに、友だちと登ったら単純に楽しくて。自ら山に登るようになりました」
卒業後、横浜の大学病院で看護師として働き、休みの日には山に登るように。勉強のため大学病院で働くのは3年で、地元・横須賀に戻ることは決めていた。働き始めて3年が経つ頃、奥山さんはふと「山で働きたい」と思い立つ。
「休日に山に登っているうちに、山で働きたい=山小屋で暮らしたいと思っちゃったんですよね。そのときに『蝶ヶ岳ヒュッテ』がパッと頭に浮かんで。中学生の頃に初めて登ったんですが、蝶ヶ岳から見る穂高連邦が美しいんですよ。あの景色を眺めながら働きたいと、『蝶ヶ岳ヒュッテ』に連絡したら受け入れてくれたので、大学病院を辞めて行くことにしました」
絵画のような宿泊棟の窓から見える景色
当時24歳。両親には心配されたけれど、それでも奥山さんは自分の直感を信じて山に飛び込んだ。そして「山に登る」ことだけでなく「山にいる」ことに魅了されていった。
「蝶ヶ岳ヒュッテ」からひょんなきっかけで「穂高岳山荘」へ。そこから11年、「穂高岳山荘」で働き暮らした。
山の天候は移ろいやすいが、どの景色にも美しさがあるので楽しんで欲しいと奥山さん
特技は幸運。
とりあえず飛び込んでみる
山で働く仲間は、冬のオフシーズンは酒蔵やスキー場で働いたり、旅をしたりそれぞれの時間を過ごす。奥山さんは、2012年から2019年の7年間、11月末から3月まで地球の裏側ニュージーランド(以下NZ)の山でガイドとして働いていた。NZとの出会いは遡って2007年。山に登りたくて1泊目の宿だけ抑えて、3ヶ月間旅をした。
「英語を学びたくて、語学学校に行ったら学費は高いし日本人ばっかりだったんです。泊まっていた宿のおじいちゃんに相談したら、宿を営んでいる僕の友だちが日本人を探しているから行ってみたら?って言ってくれて。就労ビザはないので『WWOOFA(ウーファー)』の仕組みで、泊まらせてもらいながら2週間仕事のお手伝いをしたんです。でも山の近く、マウントクックに行きたいと思っちゃったんですね」
山での生活はつねに笑顔が絶えない
NZの最高峰マウントクックには、当時3つの宿があった。四つ星のホテル「The Hermitage Hotel」と、ユースホステル「YHA Mount Cook」と、家族経営の小さな宿。奥山さんはYHAと家族経営の宿に、お金はいらないから働かせてほしいと直々にメールを送り、家族経営の宿のオーナーから二つ返事をもらった。
「その家族が本当にあったかくて。自分たちの家に住わせてくれて、1日4時間くらい宿の掃除をして、山に登って過ごしました。その中で、『The Hermitage Hotel』のアクティビティの日本のトレッキングチームのガイドさんと知り合って仲良くなって。当時は3ヶ月で旅を終えたんですが、何年かしてまたNZで働きたいなと思ったときに、メールをしたら彼がトップになっていたんです」
山荘周辺の天気などは随時SNSに情報をあげている
その縁から、ぎりぎりワーキングホリデーが利用できる30歳だったことも相まって、「The Hermitage Hotel」の日本人トレッキングガイドとして雇われた。こうして奥山さんは、日本の穂高岳とNZのマウントクック、山の二拠点生活を送ることになった。
「奥穂とマウントクック、山で働くことを想像したら楽しすぎるから、迷いはなくって。本当に私は運がいいんですよ。特技は、幸運!(笑) 人に手を差し伸べてもらいながら、ここまでやってきました」
楽しい渦に巻き込まれて
2019年、NZの山生活に終止符を打った奥山さん。その背景には、山とは別の側面で「やりたい」ことがあった。
「父が教員なんですが、その縁で美術の先生からスウェーデンのはた織り機をいただいて。いつか私も手仕事をしてみたい、30代のうちにはた織りを勉強したいと思っていたんです。そんな中、優子さんが倉敷に民藝の思想を継いだ学校があるよと教えてくれて。おもしろそうだとすぐに見学に行きました」
民藝などの手仕事にも興味があるという
倉敷民藝館の初代館長・外村吉之介が自宅を開放して開いた「倉敷本染手織研究所」。研究生は毎年6名のみ。その場で申し込んでから2年待って、奥山さんは2019年の春、38歳で入学。美観地区で暮らしながら、はた織りを習った。倉敷ノッティングから始まり、卒業制作では着物一反の生地を織る。
「ずっとこもって、着尺を泣きながら織って。生活と地続きに手仕事がありました」
66期生として卒業し、2020年の3月に松本に戻ってきた頃にコロナ禍に突入。看護師の資格がある奥山さんは、2020年、2021年の冬場は、長野市を通じて、軽症者の療養施設の健康管理を担っていた。そして、コロナも落ち着いた2022年にスタートしたのが、「鉢伏山荘」の冬季営業だった。奥山さんは今、山小屋で働き暮らしながら、はたを織っている。
奥山さん自ら全て手作業で織った山をモチーフにした柄のノッティング
「とりあえずやってみようってスタンスで、怖さもあるけどやりたい気持ちがまさったら突っ走っちゃうんですよね。ピンときたら早い。優子さんはよくわかっていると思うんですけど(笑)『鉢伏山荘』も自分たちがやりたい!おもしろそう!と思ったことをとりあえずやっている感じなんです。優子さんは同じ方向を目指しながらも、私のストッパーにもなってくれています」(奥山さん)
そんな奥山さんをやさしい眼差しで見つめる優子さん。
冬期営業の運営パートナー杉山優子さん
「私はマネージャー的な立ち位置です。山をあきらめていたところに声をかけてもらえて、子どもも成長したしここならできるかもって。愛ちゃんが中心になって起こる楽しい渦に巻き込まれている感じなんです。ここは大人の遊び場ですね」(優子さん)
その渦に巻き込まれているのは優子さんだけではない。水や電気など生活に必要な設備はほかの山小屋で働く仲間が整えてくれた。薪で燃やす木屑やパンを乗せる皿やカトラリーの柄は松本の「大久保ハウス木工舎」が提供してくれた。食材を冷やすストッカーは友人である「Gallery sen」と「カゴアミドリ」の店主が宿泊チケットと引き換えに用意してくれた。
食堂で使用している「大久保ハウス木工舎」の木の皿
貴重な山での食材は長持ちさせるために乾燥させる
松本市中山にある「むすび農園」で収穫された無農薬のにんじんも天日干しに
環境にも気を使い、不要なスプーンと薪の木を組み合わせて作ったアップサイクル(創造的再利用)スプーン
「 鉢伏山荘」冬期営業のグッズとして「mauve」製作のバッヂとペンダントトップも販売
「水にしろ電気にしろ設備面は自分たちでやったことがなかったから、できないことは頼ったんですよ。そしたらおもしろそうだからやるよって言ってくれて。助けてくれる人がほんとーっに多くて。自分たちの力だけでは絶対にできなかった。お金はないけど、山や松本のつながりの中で手を貸してくれる人がいる。物々交換に近いかたちで、これからもいい温度感でお互いにできることを交換できたらいいなあと企んでいます」(奥山さん)
変わりゆくものを受け止めて、
自然と生きる
ふたりは冬の時期、土曜の朝に鉢伏山に登って2泊して月曜の朝に降り、街と山を行き来する暮らしをしている。
鉢伏山の山頂から松本平を望む
「山は生活がシンプルで、水も電気も当たり前にあるものが当たり前じゃないから、知恵や人の助けで環境を整えないと自分を守れない。だから動物的な本能が働くというか、感覚が研ぎ澄まされるんですよね。山にいると、風の強さも空の色も太陽の光も毎日違う。単純に綺麗な景色だけでなく、悪天候であっても、美しいなあと思える自分でいたいと思うんです。それは街にいるときも同じで、思い通りにならないこと、想定外のことを楽しみながら適応していきたいですね」(奥山さん)
街だけで暮らしているとつい抜け落ちてしまうけれど、私たちは誰もが自然とともに生きている。そのことを頭ではなく体に刻み込むように、ふたりは冬の週末、山で暮らす。
「鉢伏山荘」から山頂までの道を歩く
山頂までの道のりで見える山肌の美しさ
「鉢伏山荘」から山頂までは20分ほど
野生動物も多く生息している
途中の小高い山を登れば美ヶ原が展望できる
鳥居がある山頂からは松本平と北アルプスの山々を一望できる大パノラマが広がる
山頂から望む富士山と諏訪湖の景色は圧巻
「明確なビジョンはないけど、10年は続けたいですね。こうしなきゃというのはないから。常に変化しながら、その時々にいいと思ったことをやって、自分たちがいちばん楽しんでいたいです」(奥山さん)
「鉢伏山荘」の冬の物語ははじまったばかり。10年先のことはわからないけれど、ふたりはこれからも、山と街のあいだで、そこにある美しさを見つめていくのだろう。
山では生活がシンプルに感じれるところが好きだという奥山さん
- ※1 鉢伏山(はちぶせやま)は長野県岡谷市、松本市と境を接する標高1,929mの山。山頂では山頂では北、中央、南アルプス、八ヶ岳からから白山、御嶽山、富士山、浅間山、北信三山まで360度の大パノラマが見られる。
- 鉢伏山荘(冬期営業)
- 長野県岡谷市(大字なし)
- ・12月~4月の間、車道は冬期通行止めの為山荘までのアクセスは徒歩のみとなります。
・4月の冬期通行止め解除後は山荘まで車で来ることが可能です。
・駐車場あり(有料)/1人につき300円の入山料が必要
◉冬期営業についてのお問い合わせは下記のメールアドレスまで。
鉢伏山荘(冬期営業)Email:hachibuse.touki@gmail.com - 【2023年〜2024年 冬期営業日】
2023年12月23日〜27日、2024年1月〜3月末までの土曜日、日曜日の宿泊。定員7名の完全予約制。 - 金曜日は4名様より受け入れ可能。貸切は7名〜10名様となります。
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