
2024/4/26
へんみ櫛店
伝承と創造のはざまで
変わらないものづくりと変わるものづくり
◉旅人インタビュー・文=大久保修子(Gallery sen) 写真=河谷俊輔
木曽地方に300年近い歴史を持つ「お六櫛」と呼ばれる木の櫛がある。我々現代人の生活に於いて木櫛はいつしか“必需品”と呼ばれるには遠くなってしまったが、「オノオレカンバ」の木を鋸で挽きゆっくりじっくりと作られる「お六櫛」は、心地良さや使う喜びから今再び新しいものとして少しずつ認知が広まり、若い女性を中心にその魅力に触れる方が増えている。「へんみ櫛店」逸見英隆(へんみひでたか)さんはそんな「お六櫛」の最年少となる作り手であり、櫛づくりの未来に静かに取り組む探求者だ。伝承と創造の間で逸見さんの心の内に燃える熱情を知るため、ゆっくりとその言葉に耳を澄ます機会を頂いた。
興味に倣って辿り着いた先は
逸見さんの生まれた旧梓川村(現松本市)は北アルプスの前山を美しく見渡す長閑な地域で、近くには北アルプスの槍ヶ岳を水源とし上高地から続く美しい梓川が流れている。
幹線道から少し外れた実家敷地の一角に一間だけの小さな工房を構えたのは独立の翌年である2016年のこと。温かみのある落ち着いた雰囲気はさながら山小屋のようで、櫛作りの静かなリズムともよくマッチしており、大きな窓からは田畑と雄大な山並みが広がる。取材の日は野鳥が窓ガラスにぶつかってしまったことを除いてとても静かで、ものづくりと向き合うには最高のロケーションだ。そんな自然に囲まれた環境で逸見さんは日々淡々と櫛を挽いている。
「へんみ櫛店」の工房
「櫛挽所」の表札が目印
「工房では基本的に何か音を流してますね。ポッドキャストやラジオ、エンタメやアニメも好きです。こうやって作業しているとずっと聞く時間はあるんです。ラジオしかなかった時代は聞けるものが少なかったですが有り難い時代ですね」
中学二年から大学生の頃までドラムを叩いていたそうで音楽も幅広く好きだというが、それでもこんな風に音を聞きながら仕事が出来るようになったのは独立後数年が経ってからだったと振り返る。
「ある程度慣れて数を作るようになってきたから出来るようになったかも知れません。最初の頃はそんなに聞けなかったな」
逸見英隆さん
少年時代には梓川で釣り、その後ドラムやスポーツ観戦、子供の頃から様々なことに興味を向けてきた逸見さんは高校生までを地元松本で過ごし、卒業後は都内の大学へ進学した。学生時代の中でも「一番楽しかった」と振り返るほど充実した大学生活を送ったが、この上京には両親からの“帰省”という条件が付き、卒業後はまた地元松本へ戻り精密機器会社で働くことになった。
「工学部だったんで何も考えずそっち系なのかなって。みんなが自己分析とかやっている頃に全く自己分析しなかったんです(笑)」
工房から見る山々の景色
工房にある黒板には今年の抱負
しかし初めての就職にはその後約2年で終止符を打つことになる。機械的なライン作業に馴染めず、逸見さんはだんだんと心をすり減らしてしまった。
「インターネットに籠ってましたね。その頃にモノを作って暮らしている方の記事なんかを見ていて、あと元々祖父が大工だったんです。そういう繋がりもあって木のものっていいなぁと、技術を身に着けたいなぁと考えるようになりました」
インタビュアーの「Gallery sen」オーナー大久保修子さん(左)とは日頃からものづくりの過程を共有している
工房には様々な工具が整然と並ぶ
「書店の女性誌コーナーに行くのも好きでした。『天然生活』とか『チルチンびと』、『nid』なんかのライフスタイル誌をひたすら読んでいた時期があるんです。そこでお六櫛っていうものがあるというのも見ていました」
25歳で精密機器会社を退職する頃には趣味で木工を始めていた。
翌年には本格的に学ぶため、1年制で木工が学べる「長野県上松技術専門校」に入校。ほどなくして同じく木曽にあるお六櫛技術伝承工房へも通い始め、ここから逸見さんのお六櫛への探求がスタートする。
子供の頃からの遊び場所である梓川
伝承館では毎年体験者の募集をしており、この年も「長野県上松技術専門校」から数名が手を挙げ、グループに分かれお六櫛の技術を学んだ。
「この時の講習が楽しかったんで続けて通わせてもらえるよう頼んだら、いいよって言ってもらって」
全2回のコースで櫛を1本完成させる講座の終了後も逸見さんはひとり名乗りをあげ、引き続き櫛づくりの技術を学ばせてもらうことになった。
厚さが薄く飾り櫛にもなる伝統的な「お六櫛(指櫛京丸)」(左)と現代の使い方に合わせて厚く作っている「お六櫛(指櫛)」(右)
吸収の日々、葛藤。
その向こうに見えた道
「長野県上松技術専門校」を卒業後は継続してお六櫛作りの学びを深めながら、木曽で業務用の木製調理器具を作る木材加工会社に就職し、木に関わり続ける人生を選択した。またほかにも同時進行で「へんみくらふと」の名でスプーンや器などをつくる小木工作家としての活動も行うようになっていく。
「めっちゃ詰め込んでいたと思います。同時期に4年間漆の学校へも通ってましたから。元が手仕事畑の人間じゃないんで色々吸収したかったんです。若い時、動ける時に」
木材加工会社で生計を立てながらお六櫛と作家活動、自分の興味を突き詰めるため動き続ける日々。気が付くと30歳を過ぎていた。
櫛原木となるオノオレカンバを板にした櫛木
硬い櫛木を鉋で削っていく
繊細な角度を調整していく
「この間の5年はしんどかったです!(笑)」と思わず声を張るほどに無我夢中で活動をしていたが、目まぐるしい日々を続ける一方で逸見さんの心の内には不安や不満、葛藤が膨れていった。
「木工で食べていきたかったんです。ただやっていくうちに色々考えちゃって、年齢のこととか将来のこととか。ちゃんと食べていけるのか、どっちが性分に合っているかとか。このままだらだら続けていてもどっちも身につかない状況だなあと思って、いろいろ考えた時に一度櫛に没頭したいなと」
カスタマイズされた手作りの道具も多い
歯型を使い「スジ」とよばれる櫛歯根元の山型のあたりをいれる
「へんみくらふと」と「お六櫛」の活動はそれまで逸見さんにとってどちらも等しく本気で進めてきたはずだったが、いよいよどちらかに絞らなくてはいけない気がしていた。
「最初に手挽きの先生から“二兎を追うものは一兎をも得ず”と言われていたんですけど、まだその頃は若かったんで“いや、やってみないとわかんないです”って言いながらやってたんです。先生の言った通りでした」
“投下時間はもののクオリティに比例する”という考えの元、1本の道に絞ろうと自分自身と向き合った時、心の中に見えたのは職人への憧れや専門性の高い仕事への喜び。
「スジ」の形に沿い細く筋目をいれていく
「お六櫛」は細かな作業がとても多く道具も用途ごとに揃えられている
進む道は「お六櫛」だった。
とはいえ「お六櫛」には長い歴史がある。脈々と今に繋いできた先人たちに対し、独立はそう簡単に自分だけの意思で決められるものではなかったため手挽き櫛の先生に相談をしに行くことになった。
「ここでダメだと言われたら木工は辞めていました」と言うから、相当な覚悟を持って臨んだことは想像に難くない。
結果は今に繋がっている通り。2015年から今まで、逸見さんは櫛一本で走ってきた。
「スジ」に沿った手挽きでの櫛挽きは正確さを要する熟練した技術が必要とされる
櫛挽きされた櫛木たち
のこぎりには自作の細かな調整がなされている
手挽きの櫛挽きは高い集中力が必要な作業
そもそもお六櫛って?
ここで「お六櫛」の成り立ちについて少し触れておきたい。
「お六櫛」は長野県木曽郡木祖村薮原で作られる木櫛で、主にオノオレカンバ(木祖村での呼称はミネバリ)の木を使うことが特徴だ。オノオレカンバは優しい赤味があり、“斧折れ”と名が付く通りに硬く粘りがあるうえ1mm太るのに3年かかるとされるほど成長がゆっくりで、その分緻密な材料となり櫛づくりに非常に適している。
櫛歯に沿い紙やすりを入れていく
櫛歯に通す紙やすりを巻く厚さの薄い木
手挽きによる櫛挽きされた櫛歯の正確さ
所説はあるがその昔、妻籠の旅籠屋にいた「お六」という美しい娘がいつも頭痛に悩まされていたところ、願掛けをした御嶽大権現から「ミネバリの木で作ったすき櫛で朝夕髪を梳かせば必ずや治る」というお告げがあり、その通りにすると不思議と病が全快したと語られるようになった。このお六伝説によりオノオレカンバで作った櫛は中山道を行き交う旅人に大変な評判となり、全国に知れわたることとなったそうだ。
ただし時代の流れの中で今や職人は10名を切り、専業でお六櫛をつくる工房は逸見さんを含む4軒にまで減少している。
櫛の形(今回は「京丸櫛」)のあたりをとっていく
「京丸櫛」の形に沿って切り出す
現代の櫛づくりが直面する課題
実は今この櫛の素材となるオノオレカンバをめぐって、逸見さんの櫛づくりは大きな課題に直面している。
主に中部地方以北の太平洋側に分布するオノオレカンバは標高約500m以上の高山帯に根を張り、そもそも分布エリアが限定されるうえ成長が遅いため現代では非常に希少な材料となっている。
また櫛として成立するためには強度の確保や変形のしづらさ、髪通りを考慮し、赤身部分(丸太を輪切りにした時に芯に近い真ん中部分が赤身、その外側部分を白太という)のみを使用する必要があり、その赤身が最低でも櫛の幅の1.5倍の太さを要するため、自ずと樹齢100年以上の個体に出会わなければいけないのだ。例えば幅12cmの櫛の場合、赤身部分が直径18cm以上、丸太の状態だとおおよそで直径が30cm以上のものである。
非常に硬い木であるオノオレカンバを数年自然乾燥させて更に硬さを増させる
現在は南信の伊那地方もしくは東北地方などからの出物があった際に入手しているほか、お六櫛組合でも県の林務部に声を掛けているが逸見さんの工房では今1年半ほど材料が見つからない状態が続いているという。
「事業を継続していくための最優先課題としてまずはオノオレカンバを探さないといけないですが、本来であれば2代3代かけて繋いでいく仕事です」
大正時代に電気式の丸鋸が普及して以降、それまでの手挽きでの櫛づくりから機械で歯を挽く機械挽きのお六櫛が増え、生産スピードは格段に速くなった。最盛期には村全体の7割が櫛関係の仕事に従事し、一軒の工房で月に2000本もの櫛が作られていたというから成長スピードに対し相当な量のオノオレカンバが伐られたのだろう。
やすりの目を変えていねいに磨きあげていく
伝統の中から生まれた形の中に高い技術が同居する「お六櫛」には独特の美しさがある
逸見さんは独立以降工房の敷地で苗起こしなどの活動もされているが、これは到底自身の代で使えるまでには育たない。今できることは次の世代に繋ぐための材料への取り組みと、とにかく技術を絶やさない活動、手を止めないことだ。
技術のうえに
選択肢が広がるものづくり
ちなみに量産のための手法である機械挽きでの製作が悪手というわけではない。逸見さんも伝統的な手挽き(手鋸で歯を挽く)と機械挽き(電動の丸鋸で歯を挽く)の両方を使い分け仕事をされている。
先述した通りオノオレカンバは硬質で粘りがあり、櫛づくりに向いているが、手挽きで制作しようとすると同じ丸太の中でも特に杢目が整い緻密な“大トロ”部分を主に使用することになる。これは鋸を挽く際に杢目に沿って刃が流れてしまうこと(均質な材料でない場合などによる)があるのを避けるためだ。
工房では音楽を流すことが多いそう
「うずくり」で櫛歯に出た毛羽を取り払い滑らかにしていく
対して機械挽きであれば電動の力の方が鋸刃が杢目を流れる力を凌駕するため、大トロ部分のみならず希少なオノオレカンバを余すことなく使うことが出来る。また髪質や髪の長さに合わせて逸見さんの作る櫛の形は様々だ。主に歯幅の粗い櫛は機械、細かいものは手挽きという風に使い分けることでそれぞれ目的に合わせた制作が叶っている。
「櫛づくりの道具って櫛のためだけの専門的な道具なんです。そういう手道具もとても楽しかったから。道具を好きになれたことも櫛づくりを続けられている理由だと思います」
逸見さんは櫛を挽くための鋸も自分で目立て(V字型にギザギザを入れること)をする。既成の道具で歯を挽くだけではない。自身で使う道具を自分の手で拵えることができる、粛々と受け継がれてきたそういった技術を身に着けたからこそ使う方に寄り添ったものづくりが叶い、今新たに支持が広がっている。
初めて櫛を挽いた日から今年で15年。まだまだ腕を磨かないと、と話す。
「バフ」を使い更に磨きあげ櫛に艶を出していく
「へんみ櫛店」の刻印
焦らずじっくり、いい櫛を作り続けたい
修業時代からノンストップで走ってきたが、今は週に一日は休みを取っている。
「もともとは休まないとダメなタチなんです。休みはだいたい家のことをやってますね。妻と買い出しに行ったり。週一だとあまり遠くへは行けないですが良いシーズンだと美ヶ原を歩きに行ったりもします。今年はビーナスライン沿いの八島湿原のあたりの山を歩きたいですね」
椿油を木に染み込ませていく仕上げの作業
椿油の染み込んだ「お六櫛」はとかす髪にも栄養を与える
「淡々としてた方が長くやっていけるかなって」
興味に向かって夢中に手を広げた時期があったからこそ、今は自身の心地いいペースを大切にしながら櫛づくりと向かい合っている。
材料問題や職人の減少などお六櫛を取り巻く切羽詰まった課題はあるものの、逸見さんの心はいたって波立たず穏やかだった。
「いい櫛を作りたい、長く続けたいっていうのが一番です」
京丸(きょうまる)櫛・手挽き
峰丸(みねまる)櫛・手挽き
トカシ櫛(相歯と荒歯)・機械挽き
こちらに並ぶほかにも「両歯櫛」や、機械挽きによる「姫櫛」「ミニ丸櫛」などの種類もある
「自分は松本でやっているんでちょっと産地とも離れているんですけど、そこはちゃんと配慮しながらもう少し頑張らせてもらって、気が付いたら追いかけてくれるような人が現れてほしいですね。」
技術という核、そして今も変わらぬ「楽しい」があるからこそ、逸見さんは「いい櫛を作り続ける」ブレない心一本だ。
京丸櫛「京丸(きょうまる)櫛」は手に持ちやすくコンパクトで持ち運びがしやすい
「峰丸(みねまる)櫛」は丸みを帯びたフォルムが手に優しく幅があるのでおうち使いに
「トカシ櫛(相歯と荒歯)」は絡んだ髪を解きほぐす際に
櫛づくりの伝統を未来へ繋ぐ
2024年3月初旬、国立にある暮らしの道具を扱うショップ「カゴアミドリ」で開催した、自店「Gallery sen」のPOP UPイベントに逸見さんの櫛を出品させて頂いた。ご本人も実演に駆けつけて下さり二日間店頭で櫛を挽くところを見せて下さったのだが、このイベントで逸見さんは売れっ子作家とでも呼ぶべき人気ぶりを発揮し、予想を超える反響にはちょっと驚いてしまった。
「SNSで見たけど手に取れるところがなくて探していました」「1本持っていてファンになったので別の種類が欲しくて」「実演を見て欲しくなってしまいました」「肌当たりが優しくマッサージにもなって嬉しい」そんなお声をたくさん頂き、他に一緒に出品してくれた「米澤ほうき工房」の米澤資修さんやペッパーミルを作る「木工ヤマニ」の内山夫妻とも顔を見合わせて思わずニンマリした。
雄大な自然の中で生まれ育った逸見さんにはおおらかさがあった
先人から繋いできた逸見さんの手仕事が今また新しいものとして世間に“見つかった”瞬間を共有したような喜びと、これからへの期待を感じずにはいられなかった。逸見さんは時代に求められている。これからも手を止めず進み続けることできっと後を追ってくれる人だって現れるはずだ。
完成に向かって一つ一つの工程に時間をかけきっちり正確に進める櫛づくりは、コツコツと根気強く物事と向き合い進んでいく逸見さんそのもののような気がしている。
「ラフな言い方するとオタクですね。」
櫛挽きオタク、かっこいいじゃないか。
逸見さんはこれからも松本で、梓川の清らかな流れのように時代の流れの中で少しずつ形を変えながら進んで行くだろう。一緒に船を漕ぎながら、伴奏させてもらえるよう共に奮闘したい。
松本の少しぽっこりとしたお山と「お六櫛」のたたずまいはどこか似ている
《追記》実はこの記事を書き終えたころ、逸見さんの元にはあちこちからオノオレカンバの材料話が飛び込んできた。材料問題に声を上げたこと、またその技術と活動への関心、それから何より逸見さんの真っ直ぐな人柄が多くの協力者を惹きつけたのだ。長くいい櫛を作りなさいという、オノオレカンバの神からのお告げだったら嬉しいなと、そんなことを思った。
- へんみ櫛店
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- Email:oroku@henmikushiten.com
- Instragram:@henmi_kushiten
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