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松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと 松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと

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松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと。

2023/3/8

まるも旅館

変えるのではなく
そのままを磨くこと

◉旅人インタビュー・文=川瀬佐千子 写真=木吉

 民芸の街・松本の風景の一翼を担う「まるも旅館」。明治期に建てられた現在の蔵造りの建物は、白壁に黒々とした木の面格子が映える風情あるたたずまい。できる限り「そのまま」を残し、昔ながらの旅籠の雰囲気を漂わせる宿にはファンも多い。旅館の主人は4代目の三浦史博(みうらふみひろ)さん。価値観や常識が急速に変化している中で、受け継いだものを残していくために、彼が大切にしていることがある。

新旧の良いものが共存して成す風景

 江戸時代には松本藩の城下町として栄え、明治時代に入ると製糸業などの近代産業が勃興、大正3年には日本銀行松本支店が開業するなど、信州の経済文化の中心地として栄えてきた松本。大正末期~昭和期には、民芸とクラフトの街として大きく発展した。

「松本の民芸・クラフト文化というのは歴史に深く根付いているんだと思います。ある人の受け売りですが、松本では江戸時代に藩主に献上するものとしてさまざまな工芸が集まり、ものづくりが発展してきたんだと思います」

 1868年(慶応4年)創業の「まるも旅館」主人の三浦史博さんは、館内を案内してくれながらそう話してくれた。まるも旅館は女鳥羽川沿いにその蔵造りの建物を構える。この建物は1887年の松本の大火後に再建されたもので、以来130余年に渡って旅人をもてなしてきた。

まるも旅館の4代目を担う三浦さんは、神戸出身。まるも旅館で働いて21年になる。今は主に旅館に隣接する民芸茶房まるもの運営と、旅館ではお客様の受付を担当している。


松本市内中心を流れる女鳥羽川

「もともと人とコミュニケーションをとる仕事は好きで、子どもの頃はおみせやさんになりたいと思っていました。おじいちゃんがお客さんと『いらっしゃい』『ありがとう』と言葉を交わしている姿に憧れもありました」

「おじいちゃん」とは先代のまるも旅館の主人、新田貞雄さんのこと。三浦さんの母方の祖父にあたり、旅館の一部を改装して「民芸茶房まるも」を始めた人でもある。この先代から、三浦さんは24歳の時に「やってみないか」と声をかけられて松本に移り住み、ここで働き始めた。


食堂からは中庭を臨む

「松本には子どもの頃、お盆と年末年始などに遊びに来ていたんですが、『祖父母の家』としてしか認識していなくて、あまり街の印象はなかったんです。大人になってからこちらに引っ越してきて改めて向き合ってみたら、いい街でした」

「何より街の中に歴史があることが魅力。お城や蔵造り、洋風建築といろいろな時代の『古いものと新しいもの』が共存しています。きれいに整備された駅前に嘆く人もいますが、そういった新しいものも、今残っている古いものと共存しながら50年100年と経つうちに、良いものが残っていき、松本の風景になるのだと思います」


細い階段を上がり旅館の2階へ

 まるも旅館は、今の松本でその古い風景を担う存在のひとつだ。蔵造りの建物はもちろん、その中にも大切に受け継がれてきたものたちがその歴史を感じさせる。

擬洋風建築の旧開智学校(松本市中央)を手がけた大工の棟梁が作ったというらせん階段の手すりは使い込まれて滑らかになり、飴色になった柱や天井板、木のサッシはどこか懐かしく優しい。あちこちに飾られているのは、松本で活躍した画家や彫刻家の作品、また民藝運動をリードした柳宗悦の作品。そして建物の和洋折衷の独特の雰囲気をぐっと引き立てるのが松本民芸家具。


カーブが美しいらせん階段

 その松本民芸家具の創始者・池田三四郎が内装設計に携わったのが、隣接する民芸茶房まるもだ。開店以来使い続けられているウィンザーチェアは、今日も訪れた人をくつろがせている。

「旅館の朝食でも、先代が集めた日本各地の窯や作家の器を使っているんですよ」と、人間国宝となった陶芸家の器を見せてくれたから驚いた。飾っておきたくなるような貴重なもの。しかし民芸の魅力とは用の美。使い続けてこそ、その魅力が引き立つのだということを改めて教えてもらったような思いがした。


柳宗悦の書

共に年月を重ねることのできる喜び

 明治に建てられた蔵造りの中に、これら民芸の美を取り入れていったのは先代だという。

「先代は戦争を生き延び、松本に戻ったあと、大好きなクラシック音楽を聞くために喫茶室を作ったそうです。日本民芸協会に参加し民芸運動の振興にも携わっていました。さまざまな形で松本の戦後の文化振興を支えた人なのだと思います」

 三浦さんは、「やると決めたらすぐやれ」という行動の人たる祖父の姿に小さい頃から接し、一緒に働き始めてからはその美意識を目の当たりにした。おっかない人でしたよ、と笑う。

「たとえば、私が何か新しいものを買ってきてそのへんに置いておくと『うーん、お前には分からないかぁ』と言われるんですね。『うちにこれは合わない、それが分からないのか』ということです。ダメ、と叱られるより堪えましたね。後で『本物に囲まれて生きていれば、そのうち分かるようになる』とも言われましたけどね」


松本生まれの彫刻家・洞澤今朝夫の作品

 その祖父の言葉通り、毎日触れて、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、ここにあるものの良さがわかるようになってきたと三浦さん。では、そういった民芸の魅力とはなんでしょう? と訊ねるとその答えは「心を豊かにしてくれるところ」。

「希少だから価値があるのではなく、使い続ける喜び、ともに年月を重ねる喜びが感じられること。それに使い続けていると、ものを大切にするという精神がこれらのものの根っこに感じられる気がするんです」

ここで過ごすうちにいつからかそう考えるようになった三浦さんは、まるも旅館の「そのままを守ること」を大切にしているという。

「家具や調度品だけでなく、間取りも昔のままですから、部屋も細かく分かれていますし、天井も低い。以前の私は、隣同士の部屋を壊してひとつの大きな部屋にしてもいいんじゃないか、と考えたこともありました。そのときは昔からのお客様に『そのままにして!』と言われました。一番小さな部屋は4畳半ですが、『この狭さが落ち着いていい』といつもその部屋に泊まられる方もいます。うちは、変えるのではなくそのままを磨くことが求められているだな、と今は思っています」


どこか落ち着く四畳半の部屋

4代目として受け継いだものは

 先代が亡くなって10年以上がたち、三浦さんは祖父から受け継いだきたまるもを守りながら、少しずつ自分のまるもを作ろうとしている。

「それは、受け継いだものをいい形で残していくために必要な変化だと考えているんです。先ほど、うちが求められていることは『変えるのではなく磨くこと』だと言いましたが、受け継いだものを磨いていい形で残すために、新しい価値観や考えを取り入れてやり方を変えることも必要だと思うんです」


黒いタイルとひのきの和モダンな浴室

 ただ、「お客様の信頼を裏切ることがあってはいけない、ということを肝に命じている」という。例えば、「100回来てくださる方も、1回だけ来てくださった方も等しく快適にいい時間を過ごしてほしい」という思いで、民芸茶房まるもは数年前に完全禁煙にふみきった。しかし、タバコとコーヒーを楽しみに長年通ってくれているお客さんもいる。三浦さんとスタッフは、タバコを喫む常連のお客さんが来店するたびに丁寧に説明をし、全員に納得してもらったうえで、禁煙とした。説明を終えるには半年以上かかったそうだ。

「お叱りを受けることもありましたし、手間も時間もかかりました。でも、お客様にきちんと納得していただいたうえでお付き合いいただき、おもてなしさせていただきたい。そうやって一人一人のお客様との信頼関係を大切にすることが古い小さな宿としての矜持ですし、なにより、先代やこれまでのスタッフのみなさんが作り上げてきたものを失うことがあってはならないと思っているんです」


中庭を眺めてソファでくつろぐひととき

 4代目として受け継いだものは建物や家具だけではない。目には見えない信頼や人間関係という価値をも受け継いでいるのだという自負が、三浦さんの言葉の向こう側に感じられた。

「そうやって私たちが磨いた場を『心地よい』と感じてくださるお客様が訪れて、有意義な時間を過ごしていただけること。それが受け継いだものをいい形で残すということかな、と思っています」


食堂のテーブルを整える三浦さん

 

まるも旅館
長野県松本市中央3-3-10
※旅館、茶房ともに月曜と火曜は休み
Webサイトはこちら
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