
2023/7/28
松本逍遥
◉文=小倉 崇 挿画=中沢貴之
松本のつくるひとたちをインタビューして回った旅人インタビュアーが、取材の合間に歩き回った松本の思い出を綴るリレー形式エッセイ。かつては、機内誌やカルチャー誌などの編集者/ライターとして国内外を旅し、現在はアーバンファーミングを広めるNPOをも主宰する旅人が松本を散策しながら見たこと、感じたこと。
松本駅へ着くと、編集部が用意してくれたホテルに荷物だけ置き、早速、市内をぶらぶらと歩く。
松本の出身者に「松本の思い出の味ってなに?」と聞いて、勧められていた洋菓子店・マサムラへ。ここのシュークリームが子供の頃の思い出の味だそうだ。掌に収まるくらいの小さな生クリームのシュークリームは、確かに懐かしい味がする。子供が思う外国の味とでも言えばいいか。行儀悪くも、少しづつ食べながらそぞろ歩いていると、抹茶のような色で壁をペイントされたレコード店を見つけた。
旅をしていて、必ず立ち寄るのがレコード店と古書店なので、早速入店。marking recordsという小さなお店の中には、レコードやカセットテープがぎっしりと並んでいる。自分としては、そこそこ音楽を聴いてきたつもりなので、ある程度のアーティストは知っているつもりだったが、見事にほとんど知らないアーティストばかり。まだまだ、世界には、こんなに聴いたことがない音楽が溢れているのかと思うと嬉しくなる。そんなことを思いながら、またぶらぶらしていると、女鳥羽川に出た。
街の真ん中を川が流れている街は、どこか空気がゆったりとうねる気がする。そう言えば、音楽のメッカ・博多も街の真ん中を川が流れている。すると、川沿いに、壁一面ツタのような草で覆われた建物が。不思議なオーラに惹きつけられ、近寄ってみると、そこはライブハウスだった。立てかけられた雑誌くらいの大きさの木の看板に『Give me little more』と店名が書かれている。まだオープン前のようで入ることはできなかったのだが、さっきのレコードショップといい、このライブハウスといい、東京でも、九州でも、北海道でもない音楽シーンが松本にはあるみたいだ。夜になったら、来てみよう。
本関係も回ってみたくなったので、栞日へ行く。店の入り口に置かれたハイデルベルク印刷機がかっこいい。店内に置かれている無数のジンやリトルプレスを眺めていると、やはり初めて目にするものが多い。それらをパラパラと捲っていく内に、妙な懐かしさが押し寄せてきた。それは、20年以上前の東京・中目黒辺りをぷらぷら散歩していた時の光景がフラッシュバックしてきたからだった。
とんがったレコードショップやブックショップが当時の中目黒界隈には何軒もあった。あの頃の中目黒は歩いているだけで、新しい出会いがあった。ああ、そうか、松本には東京が失ったものがあるのかと思う。大手資本の再開発で、大型商業施設が立ち並ぶようになった東京では、こんな街歩きができる土地が少なくなっている。街自体に余白がないから、ぶらぶら歩く楽しみがない。
ここでいう余白とは、路地とかに象徴される空間的な意味合いではなくて、例えていうなら、商業施設で管理されている植栽と、自然栽培の畑の違いとでもいえば伝わるだろうか。商業施設の植栽は、一年中、暑い日も寒い日も関係なく、来場者が喜ぶような植物たちが見事に育てられている。設計者が頭の中で描いた「こういう植栽が美しい」というイメージが徹底的な管理のもとに作られている。一方で、自然栽培の畑というのは、土こそ耕し、種は蒔くが、それらの作物の生育はあくまでその作物自体のリズムと土や気候などの環境との関わりの中からゆっくりと育まれていく。そして、気がつけば、風や虫や鳥が運んできた種が根付き、多様な生態系が生まれる。
ブランディングやマーケティングというフィルターを通して選別されたブランドやショップが立ち並ぶようになってしまった、どこも似たような顔つきの街と、地元の方や移住者が、自分たちの「こういうことがやりたいんだよな」という想いの種がそこかしこに蒔かれ、ゆっくりゆっくりと根付いている街の違い。それが、ここでいう余白だ。妙に小難しいことを考え始めている。旅は五感を研ぎ澄ますことが大切で、頭(=理屈や情報)で楽しむものではない。
だから、一度頭を空っぽにさせたくて、tabi-shiroのサウナを予約する。ここは、貸切のプライベートサウナなので、ゆっくりと自分たちだけで体と心をリラックスさせることができる。たまたま空きがあったとかで、贅沢にも一人貸切サウナを満喫する。松本はアルプス登山の玄関口でもあるから、それを目的とした外国人旅行客たちが多く宿泊しているようだ。たっぷり汗をかき、アルプスの雪解け水の水風呂でスッキリとして外へ出る。さあ、お腹が空いた。何を食べよう。が、しかし、夜の9時過ぎだというのに、街は驚くほど静まり返っている。明かりがついている飲食店も閉店準備している店が多い。しばし途方に暮れる。
そうか。この街は自然栽培の畑だもんな。夜は静かに休むものなんだな。そうは思ったものの、空腹は止まない。とりあえず、夕方見つけたライブハウス目指して歩いてみるか。そうすれば、きっと、誰かが蒔いた種に出会えるだろう。
- 小倉 崇(おぐらたかし)
- 渋谷の農家・編集者。編集者として活動する傍ら農業に目覚め、2015年、渋谷・道玄坂のラブホテル街にあるライブハウスの屋上に畑と田んぼを作り、渋谷の農家としての活動も始める。その体験を通じ、これからの社会における都市農業=アーバンファーミングの必要性を痛感し、URBAN FARMERS CLUBを仲間とともに設立。