組み立てprefab

松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと 松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと

組み立て
seach
s

松本と、暮らしと、ものづくりと、ひと。

2024/2/14

山山食堂

おいしい記憶と
偶然の出会いが詰まった箱

◉旅人インタビュー・文=徳 瑠里香 写真=河谷俊輔

 日本アルプスをはじめ圧倒的な自然に囲まれた山岳都市・松本。山の「麓」とも呼ばれる街中に朝7時から朝ごはんが食べられる場所がある。その名も「山山(さんさん)食堂」。店主の高橋英紀(たかはしひでき)さんは、富山は立山・剣御前(つるぎごぜん)の山小屋で10年、厨房を切り盛りしたのち、松本へ移住。その2年後、2019年春に自分の店を開いた。そこはどんな場所で、どんな朝ごはんが食べられるのだろう。静かな冬の朝、好奇心と空っぽのお腹を携えて山山食堂を訪ねた。

おいしい記憶を再現した朝ごはん

 「山山食堂」の店主・高橋さんの1日は朝5時からはじまる。

 自宅から自転車を漕いで、毎日表情を変えるアルプスを眺めながら女鳥羽川沿いをくだって、店の鍵を開ける。腰にエプロンを巻いて、石油ストーブをつけて、やかんを両手に湧き水を汲む。

高橋さんの1日は湧き水を汲みに行くことからはじまる

湧き水は山山食堂の隣にある善哉(よいかな)酒造の敷地内にある

地下30メートルから自墳している銘水「女鳥羽の泉」

 汲みたての水で料理の下準備をしているうちに部屋は暖まり、アラジンストーブの上に乗せて煮出したハーブが香り、入り口のドアからは仄かな光が差し込んできた。

 朝7時。古道具のミルクタンクを活かした看板を出して、店を開ける。

「朝食あり〼」

山山食堂のトレードマークになっているミルクタンク

「単純に、朝の時間が好きなんですよ。山小屋にいたときは朝3時に起きて厨房に立っていて。暗闇の中星空を見上げて、昇る朝日を眺める……山で朝の時間の贅沢さを知りました。同じように、山に囲まれた松本の朝は空気が澄んでいてすごく綺麗。だけど朝ごはんを食べられる場所があんまりなくって。この店をきっかけに朝の街の綺麗さを知ってもらえるかもしれない。ほかの誰かの朝の時間をつくることができたら。1日のはじまりの場所になったらいいなあと、朝7時から店を開けています」

朝食のメニュー

 提供する朝ごはんのメニューは、ごはん、みそ汁、漬もの、海苔のAセットと、バタートースト、コーヒー、ヨーグルトのBセット、各600円が基本。お好みで焼鮭や自家製ベーコンエッグの小皿に、コーヒーや甘酒のドリンクの追加、ハニーバタートーストへの変更ほか、オプションを楽しむことができる。

 米はできる限り注文を受けてから、知人から教えてもらったヘイワの圧力鍋で2合ずつ、こまめに炊く。強火で5分もすればシューッという音を立て、蒸らしも含めて15分ほどで炊き上がる。その間に、湧水に煮干しと昆布を一晩浸した出汁でみそ汁をこしらえ、ベーコンと卵を焼き、漬けものを盛り付ける。

朝に汲んだ湧き水でお米を研ぐ

朝の光が差し込む心地よい厨房

「料理のこだわりは、家庭の延長線上にあるごはんを出すこと。お客さんに聞かれたらレシピも伝えます。でもきっと、つくる人も食べる環境も違うから同じ味にはならないんですよね。だから自分の好きな調味料や道具、材料を使って、好きな味を探っていったほうがいい。うちのごはんは、僕好みのおいしさなんです」

圧力鍋でごはんを炊く

 例えばそれは、圧力鍋で炊いたごはんに、ゆずがふわっと香るみそ汁。それから塩味の効いた自家製ベーコン。

「山小屋で料理を始めるときに、支配人に“ごはんとみそ汁だけはちゃんとしてね”と言われたんです。山って2400mから沸点が変わるので圧力鍋じゃないと米が炊けない。対流が起きる鍋の大きさと米の量や火加減など、そのときに重ねた試行錯誤が今の味につながっています。圧力鍋で炊いた、粒が立ってずしりとお腹に溜まる、いわば“男前”な米が好きなんですよ。あとやっぱり炊きたてが一番おいしいやんね」

絶品の自家製ベーコンと目玉焼き

圧力鍋で炊いたごはんは粒が立って歯ごたえがある

「登山の道中で鍋をつくったときに、仲間の1人がゆずの皮を冷凍して持ってきてたんですよ。寒い山で香りが立って、それはもう衝撃的なおいしさで!以来大阪の実家の庭でゆずが育つ時期は送ってもらってみそ汁に散らしています。豚に塩をして1週間ほど寝かせる自家製のベーコンも、山小屋で働いていたときにオーナーのオヤジがまかないでつくってくれた味が忘れられなくて。オヤジ直伝です」

 材料は、松本産直のものを中心に、顔が見える人から仕入れている。

和食の朝食メニューAセット

「米は松本産の『ほたか農園』のこしひかりを使っていて、トーストは『サパンジ』の食パンが好きだから使ってて。野菜は、『アルプスごはん』の金子さんのつながりで、7割は松本で無農薬かつ有機で育てる『ふぁーむしかない』さんと種採りを続け自然栽培でつくる『SASAKISEEDS』さんに配達してもらっています。どちらも野菜本来の味がして、そのままが一番おいしい。3割は生産者直売の『アルプス市場』で仕入れてて。松本の米と野菜と水のおいしさに助けられています」

洋食の朝食メニューBセット

 厨房から食卓に運ばれてきた湯気が立つ朝ごはんを前に、手を合わせて、いただきます。一箸一箸味わうたびに、いつかの温かな記憶に触れるような安心感に包まれながらも、これからはじまる1日へのエネルギーが湧いてくる感覚がした。高橋さんのおいしい記憶が詰まった朝ごはんは、ほかの誰かのおいしい記憶の扉を開けるのかもしれない。

人が集まる、
自分の箱をつくりたい

 大阪に生まれ、共働き家庭で育った高橋さんは、教師だった母親の帰りが遅いこともあり、小学校4年生から台所に立つように。「昔から食べることが好き。夕飯までお腹が空くんで、スクランブルエッグとか簡単なものをつくって食べて。その後にごはんもがっつり食べるから、肥満児だったんですよ、僕」と笑う。

話好きで物腰の柔らかい高橋さんの人柄で店内も和む

 本格的に料理に目覚めたのは、大学を卒業した20代の頃。大学で京都に出て、児童福祉の道を目指したけれどすんなりいかず、大阪に戻って飲食店でアルバイトを始めた。

「お店で料理をつくるのがめちゃくちゃ楽しくて。飲食なら続けられるかもっていうひらめきというか手応えみたいなものがあったんですよね」

 その感覚を頼りに、大阪で飲食店に就職。現場で経験を積むうちに、胸の内に新たな想いが芽生える。

店内ではラジオを流している

「人が集まる、自分の箱をつくりたい。雇われていると、料理の味も空間も、当たり前だけど、自分がやりたいことはできない。オーナーの場所であって、思想が違うから。自分が食べたい味、いたい空間にするには、自分の箱をつくるしかない。ひとりでやろうと思ったんです」

 とはいえ、なかなか動き出すことはできなかった。「くすぶっていましたね。やりたい気持ちはあっても、自分に店ができるのか、継続していけるのか、自信がなかった」と振り返る。そんな最中に浮かんだのが山の記憶だった。

「母親が登山ブームの世代で、小学校の頃、夏休みに家族でよく山に登っていたんですよ。ばあちゃんも母の影響で街の山岳会に入ってて。22歳のときに久しぶりに、母とばあちゃんと甥っ子と姪っ子と5人で尾瀬を周遊したのがめちゃくちゃ楽しくて。ばあちゃんは転びまくってその山を最後にやめちゃうんですが。そのときは気づかなかったけど、山には幸せな時間があった。くすぶっていたときに、熟成された山での記憶が戻ってきて、またあの景色を見たいなって思ったんです。でも、何から始めたらいいかわからなくて」

壁にはたくさんの山の写真が飾られていた

 写真の中の記憶でよく登っていた立山。尾瀬の山小屋に荷物を運んでいた歩荷の姿。高橋さんは山の記憶の断片を頼りに、立山の山小屋に電話をかけた。

「山小屋で働いたら、あわよくば山を教えてもらえるかもって淡い気持ちがあって。潜在的に山で働きたいと思っていたのかも。いくつか電話をかけて一番いい反応をくれたのが剣御前(つるぎごぜん)だったんです。会社に1ヶ月半の休みを申請して、夏のワンシーズンだけ山小屋で働いてみることにしました」

 28歳の夏、高橋さんはこうして山と出会い直した。

所狭しと調理道具が並ぶ厨房はどこか山小屋を感じる

山小屋の厨房に立ち、
山を歩く

「ひと夏だけのつもりだったんですけどね。山で過ごした時間が濃厚すぎて忘れられなくて。ただ、剣御前じゃなければ、支配人の豊田さんに出会わなければ、ここまで山にハマることもなく、ひと夏で終わっていたと思う」

 昇る朝日、沈む夕日、流れる雲、満天の星空、遠くの街の灯り。1日たりとも同じ日はない、目の前に広がる山の景色に毎日心がうち震えた。資源が貴重な山で食べるごはんの味も格別だった。支配人の豊田さんは、山を教えてくれた。

「豊田さんは“自分で考えて仕事をして”というスタンスで、自由にやらせてくれた。だから山小屋での仕事が楽しかったんだと思います。休みの日には剣岳周辺の山歩きに連れ出してくれて。夏の終わり、僕が大阪に戻る直前に、“来年は1シーズン7ヶ月通して厨房を任せられないか”って声をかけてくれたんです。ゆっくり考えて今年中に返事をもらえればいいって。山を下りていろいろ考えたけど、山も料理もそのときの自分にしっくりきたから、飛び込むことにしました」

「剱御前小舎」(左)と後ろにそびえる剱岳(写真提供=高橋英紀)

「剱御前小舎」の屋根の上で布団干し(写真提供=高橋英紀)

幻想的な滝雲と奥大日岳(写真提供=高橋英紀)

「剱御前小舎」と立山を背にする高橋さん(写真提供=高橋英紀)

「剱御前小舎」の従業員の皆さん(写真提供=高橋英紀)

 翌年4月から、30歳を前に本格的に山で働き始めた高橋さん。途中山を下りて街で働くこともあったけれど、トータル10年、佐伯和起オーナー、豊田支配人、坂本支配人にいろんなことを教わりながら、春から秋まで「剣御前小舎」の厨房に立って、料理をつくり続けた。

 そして、シーズンオフの冬場など山を下りたときには京都で働き暮らし、休日には趣味として山歩きにのめり込んだ。支配人の豊田さんに導かれて、日本の山岳民族の住む立山(芦峅寺)に交流で来ていたネパールの山岳民族・シェルパに会いに行ったことも。標高6,000mほどの「イムジャ・ツェピーク」と「パルチャモピーク」に登頂した。

多くの登山者を魅了するヒマラヤ(写真提供=高橋英紀)

エベレスト街道に立つ高橋さん(写真提供=高橋英紀)

エベレスト街道よりイムジャ・ツェピークを望む(写真提供=高橋英紀)

エベレスト街道に向かう途中の村で(写真提供=高橋英紀)

エベレスト街道にて(写真提供=高橋英紀)

「ネパールは日本の山登りと全然違って、人々が暮らしている集落と集落をつなぐ道、生活圏を歩いていくんです。多民族国家のネパールには、ヒンドゥー教徒や、チベットにルーツを持つ仏教徒のシェルパ族など集落によって人の感じも違うから、景色だけじゃなく、人の生活を見られるのが楽しい。ネパールの人たちは標高4〜5,000mでもサンダルとか履いていたり、割と軽装なんですよ。あと、ロッジが点在していて料理や暖は薪ストーブや薪を使ったかまどでまかなわれているんだけど、今でも冬になって薪ストーブの匂いを嗅ぐと、またあの道を歩きたいってネパールを思い出しますね」

「山々食堂」の入り口にはたくさんのハーブが置かれている

ストーブの上で蒸されたハーブが店内におだやかな香りを灯す

山と、偶然の出会いに導かれて

「剣御前小舎」の経営体制が変わるタイミングで、山の暮らしに終止符を打った高橋さんは、いよいよ「自分の箱をつくること」に向けて歩を進めた。大学時代を過ごした京都の左京区に店を出したいとずっと思ってきたけれど、山の存在は無視できないものになっていた。山のそばに拠点を構えたいと、移住先の候補に上がったのが長野だった。

「支配人の豊田さんが山を下りた冬に、長野の小淵沢や富士見のスキー場で働いていて、よくそこに遊びに来てたんです。その時に長野の山、特に八ヶ岳は裾野が広くて、街との距離が近い。生活圏の延長線上に山がある感じがすごくいいなあって思ったんです」

 当初は諏訪や茅野へ店を出すことも踏まえて移住を考え、視察に来ていたという高橋さん。松本へはその“ついで”に立ち寄っていた。

「山山食堂」のほかには1階奥に「古道具 燕」、2階にはギャラリーが併設されている

「『栞日(sioribi)』(※1)がよかったなあと思って訪ねて、時間があったから店主の菊池くんに、寄り道するのにいいところない?って聞いたんです。そしたら、『古道具 燕(つばくろ)』(※2)がいいよって教えてくれて。当時は城東にお店があって、ふらっと入ったら、店主の北谷さんも山が好きで1時間半くらい話し込んじゃって。長野に移住して店を出したいって話をしたら、帰りがけに北谷さんが、うちを手伝ってみない?って言ってくれたんです。住んでみないとわからないから、数ヶ月でも1年でも、うちを手伝いながら暮らしてみて決めたら?って。『ココスマ松本』ってサイトで検索したらすぐにいい物件が見つかったので、ひとまず住んでみることにしました」

 偶然の出会いに導かれて、高橋さんの松本での暮らしがスタートした。月の半分ほど「古道具 燕」を手伝いながら、松本で生活を重ね、街と人との関係性を築いていった。

キッチンの奥に進むと「古道具 燕」がある

「『古道具 燕』は毎月『まつもと古市』(※3)を主催していて、北谷さんのおかげでたくさんの人とのつながりができた。松本には自分の好きを突き詰めたおもしろい人たちがいるんですよ。人もいいし、松本は水も米も野菜もおいしくて、僕が料理に求めているものがあった。クレソンが群生する女鳥羽川もすごい好きなんですよ。暮らしてみたら水が合う感じがして、松本に拠点を構えたいと思うようになりました」

 高橋さんはこの頃、のちに結婚する妻とも「まつもと古市」で出会っている。人生の点が線でつながるように、山と料理と、松本での暮らしが符合しつつあった。

「古道具 燕」の店舗の様子

古道具は全て販売されている

寄り道をしてきた、
自分が滲み出る場所

 松本に暮らし始めて1年が過ぎた頃、現在「山山食堂」を構える物件が見つかった。

「『リスと設計室』(※4)の横山なっちゃんと『古道具 燕』の北谷さんと『栞日』の菊池くんが、価値があるのに朽ちて壊されていく古い空き家を再生利用する『そら屋』(※5)っていう活動をしていて、その一貫でここが出てきたんです。それで店をやりたいと言っていた僕に声をかけてくれて。なっちゃんがオーナーで、北谷さんと菊池くんと僕の3人で借りました。今は『栞日』は離れて2階はなっちゃんがギャラリーを開いてるんだけど、ゼロから店を始める僕にとって、松本で名の知れた『古道具 燕』と『栞日』と一緒にできるのはすごく心強かったです」

2階に併設されているギャラリー

 明治7年に酒蔵として建てられ、昭和の時代からは民家として改装されてきた土蔵づくりの家。

「僕も北谷さんも菊池くんも、この建物が経た150年の歴史に価値があると思っていて。菊池くんは壁を白く塗ることもなくモルタルで雨漏りしていたところを埋めて、土壁を残した。北谷さんは昔の人が壁に半紙を貼っていたことから着想を得て、油シミのある台所部分だけ、更紙で整えて松本の紙もの作家Akanebonbonさんに藍で染めてもらった和紙で仕上げた。僕はここにあった古材をつぎはぎして床を貼った。北谷さんが骨組みをつくってくれたんだけど。それぞれが最低限の改修をして、この建物の記憶を残した。時を経たものの美しさはつくれないんですよね、自分らには」

壁はなるべくそのままの趣を残した

しっかりとした梁には明治7年と書かれている

ギャラリーのある2階から見た1階にある「古道具 燕」

 準備を進め、2019年6月にオープンした山山食堂。軌道に乗ってきた半年後にコロナ禍に入ったけれど、個人商店の多い松本では、その苦労を知る店主たちがほかの店を訪ね回って、言葉を交わして、やり過ごしていった。

 この場所に拠点を構えて4年半が経つ今──。水を汲みに外に出た高橋さんは自然と近所の方とおしゃべりをする。隣の「善哉酒造」の軒先では井戸端会議が始まる。「まあ座ってよ」と緑茶に梅干し、野沢菜、干し柿のお茶請けが並べられて。「奥さんはいつも気にかけて、ごはんを食べに来てくれるんですよ」と話す高橋さんは帰り際に「いつものちょうだい」と「善哉酒造」の甘酒を両脇に抱えていた。

隣にある「善哉酒造」は地域の人の憩いの場にもなっている

いつものように談笑が始まる

「山山食堂」の店内にあるものについて「これは?」と尋ねると、高橋さんは目を輝かせてそのものの背景を語ってくれる。「剣御前小舎」に飾られていた少し色褪せた山の写真。店を始める前に「空想スケッチ」をしてもらった絵描きのMakoさんが壁に描いた山の抽象画。マメイケダさんが描く朝ごはんの絵。栞日の選書をする作家星野文月さんの日記の断片。パン屋でもある「サパンジ」と「本・中川」で買いためてきた本たち。山、古道具、松本の作家の作品、本。高橋さんの好きなものと巡り合わせた人とのつながりがここに集っている。

「20代の頃に自分の箱をつくりたいと思ってから、実際にできたのは40代。松本に来て後押ししてくれる人がいて、料理と山がつながった。僕はいつも潜り込んで人の懐にあっためてもらってる。店を出すためにどこかで料理を修行するとか目的地に向かってきたわけじゃなく、行き当たりばったりで寄り道もしたけど、だからこそ、その過程で出会ったいいものを自分の箱に詰めることができた。20代の自分だったら、世間やほかの誰かの好きなもの、流行りを意識しちゃってた気がするなあ。ここはごちゃっとしてるけど、自分にとっていいものが詰まった箱。自分が滲み出る場所なんだと思う」

店内には松本在住のイラストレーターMakoさんによる山の画が良い味を出している

街と山が地続きにある
松本の暮らし

 高橋さんが心地よいと思うその場所で、近所の常連さん、観光に来た人、山に登る人、本を読む人、話をしたい人……さまざまな人が思い思いの時間を過ごしている。

「コロナ禍から毎朝7時に来てくれる80代のおばあちゃんがいて、4年前はほんの少ししか食べなかったけど、通ううちに食べる量が増えていったんですよね。こんなおばあちゃんが来てごめんねって言うんだけど、そんなことはなくて。僕はみんな一緒じゃなくて、人はそれぞれただいるだけでいいやんって思うから」

本棚には山や暮らしに関する本が並ぶ

「ほかにも毎週食べに来てくれる人もいるし、コロナが明けてからは山に登る人も増えていて。ここを山小屋っぽい雰囲気だと言ってくれる人がいるけど、僕はこんな山小屋見たことない(笑)。それでも意思として店名に『山』をつけたからかな。『山山食堂』のネーミングは思いつき。太陽の光が降り注ぐ、燦々(さんさん)にかけた響きが気に入っています。名前のおかげで、山好きな人が来て、山の情報交換ができるのはすごく嬉しいやんね」

中窓からはお客さんとも会話が弾む日も

「常連の方はよく話をされますね。僕は助言したり親身になることはなく、ただ聞くだけ。お店を始めて、お金のやりとりをすることで生まれるほどよい距離感というものがあるんだと気づきました。約束をしなくても、ただ店に行って、話したければ話すし、話したくなければ話さない。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。意気込んでないから話せることもあるし、お金を介す気軽な関係性だからできることもあるんだなって」

 高橋さんは「山山食堂」の営業日の水木金土日の朝7時から夕方4時まで、台所に立って朝ごはんと昼ごはんをつくり、訪れるどんな人も受け入れて、ただここにいる。店を閉めてから買い出しに行って仕込みをして、家に帰れば、そこには自分の生活がある。“山山食堂の店主”が高橋さんのすべてではない。

日差しが心地よい店内

「僕はひっそりして居たいんですよ、実は。でも、松本で休みの日に街を歩いていても“山山食堂の人”になっちゃうときがあって。それがいまだに慣れなくて、たまに窮屈に感じることもある。僕の性格だね。だから山に登るってのもある。山を歩いて体を動かして、光の強弱とか木々の色とか変わる景色を見ていると、言葉にすると薄くなるけど、気持ちがなんかね、軽く、白くなっていくの。人とつながる街と、友だちと登っていたとしても、ひとりになれる山。自分にはどちらも必要で、松本には両方があるんだよね」

 高橋さんの生活は、街と山が地続きにある。

「山ってちょっとした奢りが命取りになるので、謙虚さを持たざるを得ない場所なんですよ。天候もそうだけど、自分の意思ではどうにもならないことがあって、受け入れることが自分を救う。ままならないことを受け止めて、謙虚でいる姿勢は山に教わった気がします」

もとの建築を残すことにこだわった壁が美しい

「それに山はただそこにある太陽の存在や光と影のコントラストがくっきりしていて、変化がわかりやすい。鈍感だった自分も感覚が研ぎ澄まされて、日々のささやかな変化に気づけるようになった。美しいのは街も同じ。ここは土蔵づくりで窓がないから暗めで、特に冬場は太陽の傾きで光の入り方が日々違うんですよ。台所から、光がめちゃくちゃ綺麗やなあ、あったかいなあって毎日感動しています」

 そう話す高橋さんの目線の先には、燦々と光が降り注いでいた。

山の記憶と料理が出会った場所が松本だったと高橋さん

※1 松本市深志にあるリトルプレスやZINEなど独立系出版物を扱うブックカフェ。アートを通して地域の文化を広げる活動をしており、地域カルチャーの中心的存在。
※2 松本市城東にあった古道具店。2017年をもって店舗営業は終了。現在は毎月おこなわれる倉庫営業「ZUBAKURO STOCK OPEN」と、「まつもと古市」をメインに活動している。
※3 2015年4月からスタートした長野県松本市で毎月開催される、古いものと古いものを愛する人が集う蚤の市。
※4 松本・安曇野を中心に活動している設計事務所。
※5 「栞日」店主の菊地 徹(きくちとおる)さん、「リスと設計室」代表の横山奈津子(よこやまなつこ)さん、「古道具 燕」店主の北谷英章(きたやひであき)さんで構成される、長野県松本市で空き家の利活用に取り組むチーム。

 

山山食堂(さんさんしょくどう)
松本市大手5-4-25 List 1F
tel:0263-75-3508
【カフェ営業時間】
水・木・土・日:7:00〜16:00
金.:7:00〜14:00/18:00〜21:00
◉朝ごはん 7:00〜10:30
◉昼ごはん 11:30〜
山山食堂 Instragramはこちら
Tag