
2023/7/28
米澤ほうき工房
松本箒は
最新家電
◉旅人インタビュー・文=小倉 崇 写真=木吉
松本箒の歴史は古い。明治初期から農家の副業として始まり、最盛期には120〜130戸の農家が作っていたという。しかし、電気掃除機の誕生によって、箒を使う家庭は一気に減っていき、今では松本箒を生産しているのは、米澤ほうき工房だけだという。そのことを知って、米澤資修(よねざわもとなお)さんを訪ねてみたくなったのは、たった一人で伝統文化を受け継ぎ、守ろうとしている職人とはどんな人なのか言葉を交わしてみたくなったからだ。ところが、会ってすぐに米澤さんの口から発せられた言葉は、こちらの安直なイメージを驚くほど気持ちよく裏切ってくれるものだった。
作家でも職人でもない
ただの箒屋です
「私は職人なんかじゃないですよ。確かに松本箒は、民藝だったり、伝統工芸として扱っていただくこともあるので、私も民藝の作家ですか?、伝統工芸の職人ですか?と聞かれることがあるんですが、どれでもないです。私は箒屋さんです。ただの箒屋さんですって答えてるんです」
自宅敷地内にある工房の一室。祖父から引き継いだという切り株の台座に向き合い、わたしたちの質問に答えながらも、米澤さんは箒を作っていく。聞けば、前日の夜に、翌日作る箒を決めておいて、朝の4時頃から、その日に作る箒の素材となるホウキモロコシを水に浸けて、柔らかくする準備をしていているのだという。今日も数本仕上げる予定が組まれているのだ。米澤さんの作業の様子を見守りながら、室内をぐるっと見回すと、仕上げ終わった箒たちが並んでいる。わたしたちの視線に気づいた米澤さんが、手を休めて話し始める。
祖父から受け継いだ台座が箒作りの作業の中心
「松本箒は、大きな長箒と、手箒の四つ玉。それと昔はかまどを掃除するために使われていた小さな荒神箒。この三種類しか松本箒ってなかったんですよ。でも、見ていただいている通り、私は、玉が3つの箒も作っています。玉をひとつ減らすだけで、その分軽くもなるし、小回りも利くようになる。今って、家具とかもいろいろな形があるから、軽い方が使い勝手が良いんですよね。なので、さらにもうひとつ玉を減らした二つ玉のハタキ箒も作っています。これは、例えば、冷蔵庫のここだけ使いたいとか、部屋の隅とか、そういうピンポイントでの使い勝手に特化した箒です」
そう聞いて、「私は箒屋です」と言った米澤さんの意図が少しだけ分かったような気がする。どうやったら現代のライフスタイルの中に箒がある風景を生み出すか。もっと平易に言えば、どうしたら、多くの人に箒を使ってもらえるのかだけを徹底的に考えているからだ。
くっきり、みこきなど独特な呼び名がある道具たち
柔らかなしなりと数十年も使える耐久性を併せ持つ
催事などにもこの台座一式を必ず持参していく
見た目も大事
でも掃き心地はもっと大事
「見た目も、使い勝手の良さも今の時代に合わせたいんです。昔の技術は使わせてもらうんだけど、今の時代に合わせていきたい。昔ながらのものだけは作りたくないかなって思うんです。だから、箒屋を継ごうと決めた時は、かなり勉強しました。それも、歴史とかを調べたりするのではなくて、どうやったら使いやすくなるかなとか、どうやったら掃除しやすくなるかとかですね」
米澤さんの作る松本箒は、まずは見た目の美しさに惹かれる人が多い。かつては、黒糸で綴じて、緑や赤の飾り糸で装飾をしていたが、糸を変え、色も一色で統一するようにした。東京などでは、白一色で編み込まれた箒がダントツに人気だという。
「まずは見た目でしか分かりませんから、『この箒可愛い』って手に取ってもらうところからじゃないですか。白一色でインテリアを統一されている方とかも多いですよね。なので、一色でまとめることにしたんです。そうすれば、あとは好みやインテリアに合った色を選んでもらえますから。基本的に松本箒としての表情というのかな、編み方は変えたくないので、糸や色を変えたんです」
普段は音楽やYouTubeなどを流しながら作業する
「でも、肝心なのは、使い心地ですよね。ウチの箒は飾れるって見た目を褒めてくださるお客さんが多いんですけど、自分の中では二の次なんです。使えなきゃ意味がないし、長く大事に使っていただきたいんです。そのために、表面からは見えない構造を常に改良し続けています」
そう言われて、一本の箒を手に取らせてもらう。米澤さんの箒の特徴のひとつでもある木を使った柄を握ってみる。使い勝手という点では、木の柄は重いんじゃないだろうか。
「それもよく言われるんですよ。従来の竹の方が軽いんじゃないですかって。でも、竹ってまん丸ですよね。つまり、丸を握って掃くわけですよね。丸を握るのって、握力がいるんです。そうしないと、丸い柄がくるくる回っちゃうので、掃きづらくなるんです。なので、木材を選んで、角を削って、握り易さと握力が少なくていい形にしています。まだまだ、自分の中で完成形は見えないので、柄についても、内面の構造と同じように、毎年毎年、バージョンアップを繰り返しています」
指先の感覚でミリ単位よりも僅かな誤差を修正する
箒作りの7〜8割は畑での作業にある
民藝や伝統工芸において、バージョンアップなんて言葉を聞いたことがない。むしろ、昔の銘品と言われたモノがお手本とされる。そう考えると、民藝や伝統工芸の視線は、かつての時代を向いているような気がする。つまりは過去を振り返るように見つめている。それに対して、米澤さんは、現代という時代と、現代のライフスタイルをまっすぐに見つめている。つまり、現在や未来という前を向いているのだ。
「でも、実はこうした作りの部分っていうのは、箒屋の仕事からしたら2割、3割くらいでしかないんです。7割、8割はあっちなんで」
あっちとは、箒の原料とあるホウキモロコシを育てている畑のことだ。素材となるホウキモロコシを自ら育てている箒屋は珍しい。
「春に種蒔きをするんですけど、ウチの畑の面積を人力でやる草取りなんて本当に地獄ですよ。農薬とか使えたらどんなに楽かなとも思いますけど、一度農薬を撒いてしまったら、土がダメになる。それと、ホウキモロコシはこの太さが欲しいんですよ」と言いいながら、箒を作る前の箒モロコシを見せてくれる。どのホウキモロコシも、みな同じようにお箸くらいの太さで揃っている。
東京では一番人気の白一色で統一された三玉の中箒
自宅前に広がるホウキモロコシ栽培用の畑
無農薬で育てる芽を出したばかりのホウキモロコシ
収穫と天日干しをしている時の写真
「この太さがベストなんです。素材がいいものでないと、やっぱりいい箒はできない。しかも、気候変動の影響で、毎年のように異常気象みたいになるじゃないですか。突然スコールのような大雨が降ってきたり。あれが、収穫時期に当たったら最悪です。なんでかというと、収穫時期が二週間くらいしかないんですけど、ホウキモロコシは収穫したらおしまいじゃない。そのあと、天日で何日間にも分けてしっかり乾燥させないと、独特の柔らかなしなりが出ないんです」
産地によっては乾燥機を使う場合もあるらしいが、乾燥機を使うと一気にホウキモロコシが固くなってしまうので、米澤さんは使わない。収穫したホウキモロコシを一握りくらいで、丁寧に脱穀をしていく。ようやく脱穀が終わったら、それをまた一本一本、手でより分けながら干す。聞いているだけで、気の遠くなるような作業だが、さらに、そこから半年間室内で乾燥させて、ようやく箒作りに適したホウキモロコシになる。どうして、ここまでこだわれるのだろう。
作る箒毎に見事に太さが揃えられている
陽に焼けて黒ずまないように常に暗所で保管
箒は売れないんじゃない
売り方を知らなかった
「ウチは箒屋が家業です。だから、子供の頃は、自分の中では『箒屋を継ぐんだろうな』と思ったこともありました。でも、電気掃除機が出てきて、一気に箒が売れなくなった。ウチの親父の頃ですね。だから、両親からは『お前に箒屋は継がせない。サラリーマンになれ』と言われ続けてきました」
実は、米澤さんが箒屋を継いだのは、37歳の時だ。それまではサラリーマンをしていた。ある日、クラフトフェアに出展するという両親の手伝いに行った。ずっと『箒は売れない』と言われ続けてきた米澤さんにとって、クラフトフェアで出会ったお客さんたちの反応は予想していないものだった。
「会場に来ていた女の子たちが、ウチの箒を見て『かわいい』ってめっちゃ反応してくれているんですよ。それを見て、『あ、これは松本箒が売れないんじゃない。作り方、売り方を知らないんじゃないか』と思ったんですね。それで、会社を辞めて継ぐことを決めたんです」
米澤さんの特徴の一つでもある木材の柄もいろいろ
結婚もしていて子供達もいる。生半可のことでは家族を養っていけない。母に手ほどきを受けながら、毎日毎日、必死で箒作りに食らいついた。苦労の日々の連続だったが、クラフトフェアでの女性たちの反応を見てひらめいていた。
「長箒だと女性の身長ではちょっと扱いづらいと思ったんです。だったら、手箒と長箒の間の大きさの中箒を作ろうと思ったんです。そうすれば、背筋伸ばして掃除ができる。掃除って腰をかがめたりするので疲れるじゃないですか。」
こう聞いていると、家業を継ごうと決めた時から、米澤さんの視点は松本箒の伝統ではなく、箒を使ってくれるお客さんたちたちに向けられていた。そこから、米澤さんの未知なる松本箒作りの日々が始まる。
年間で作る箒は原料から大体600本と決まっている
掃除機に勝負をかけるってことです
「覚えることに必死でした。とにかく、作らなきゃ、作らなきゃ、作らなきゃですよ。あっという間に貯金も全部なくなりました。自分で決めたこととはいえ、生活が苦しいと、箒作りも面白く思えなかった。なんとか、サラリーマンの頃と同じくらい稼げるようになったのは、5年目くらいからですね」
箒屋を継ごうと決めた時から思っていたことがあった。
「掃除機に勝負をかけるってことです。掃除機のいいところと箒のいいところって真逆なのわかりますか?箒の得意分野って、幅があるからかき集めることなんですけど、掃除機はかき集めるの苦手ですよね。それと、段差とか隅も掃除機苦手ですよね。でも、箒だと一発で出来る。逆に、箒はかき集めたゴミや埃を吸い取るのは苦手ですよね。だから、最後だけ掃除機の小さなハンドクリーナーで吸い取ってもらう。こうして、箒と掃除を食い合わせると、掃除がめっちゃ楽で、早くなるんですよ」
米澤さんの読みは当たっていた。中箒を販売するようになると、催事などで購入してくれたお客さんが何人も翌日に訪ねて来て、『買って本当に良かった』、『掃除するのが精神的に楽になった』と告げてくれた。
使い込まれたナイフはエッジが反り上がっている
「掃除機はいちいち出してくるのも面倒だし、夜は音も出るから掃除機をかけるときは神経を使いますよね。でも、ウチの箒だったら、部屋に立てかけておいて、気になったらサッと掃除ができます。なんか、箒一本で、買って下さった方の生活のスタイルが変わるって、すごいことじゃないですか。
それに、ウチの中箒はだいたい2万円台なんですけど、パッと値札を見て『高い』って思う方もいます。でも、うちで使ってる箒って何年目か分かりますか?47年使ってるんです」
47年も使い続けられる道具、それも家電に類する商品ってあるだろうか。
「市販の箒は1~2年でダメになっちゃう。それはホウキモロコシの品質が大きい。だから、ウチでは大変だけど、ホウキモロコシも自分たちで育ててるんです。そうすれば何十年ももつんです。それ知ったら、めちゃくちゃ安いと思いませんか」
こだわりの糸は、探し回って浅草の一軒で出会った
昔ながらのものだけは作りたくない
素材にこだわり、デザインにこだわり、作りにこだわってきた。だが、ここまでしても、まだまだ完成形にはならないという。
「お客さんたちとの会話で出てくる『こういうのがあったら』とか『ここをこうして欲しい』みたいな要望が一番ありがたいですね。全部が、箒作りにいかせますから。これだけ苦労して作っている箒ですから、長く使っていただいきたいんです。だから、ここ数年は、販売するときに、ひとりひとりの掃きグセをチェックして調整をかけてお渡ししているんです。それをやることで、5年は寿命が変わります」
穂先が固くなったら玄関用など使う場所を変える
話せば話すほど、箒作りへの情熱が溢れ伝わってくる。
「昔ながらのものだけを作りたくないって言ったのは、多分、こういうことなんだと思うんです。今と昔は生活のスタイルが違います。だから、僕は、松本箒自体は、確かに昔からある伝統的なものでもあるんですけど、実は最新の状態にしている。だから、僕の中では、松本箒は最新家電だと思ってます」
米澤さんは、自分のことを民藝の作家でもなければ、伝統工芸の職人ではないと言った。しかし、民藝の始まりを作った作家や、今では伝統工芸を呼ばれる文化になった産業の職人たちも、当時はきっと『もっといいものを」と未来へ眼差しを向けていたはずだ。だからこそ、長い年月を経てもそれらの工芸品は色あせることがないのだろう。そう考えてみると、民藝の作家や伝統工芸の職人たちのスピリットを現代において最も体現しているのは、米澤さんのような作り手なのではないかと強く思った。
米澤さんが作る松本箒
懐かしくて新しい。それが松本箒の魅力
- 米澤ほうき工房
- 長野県塩尻市広丘吉田276-28
tel:0263-57-3848 - ◉松本箒は各取扱店、展示会にて販売中。
- また毎年5月に松本市で開催の『クラフトフェアまつもと』と同日に行われる
- 米澤ほうき工房も参加の、商店主と作り手が主催するイベント「商店と工芸」において
- 松本箒製作実演・販売がある。(売り切れ次第終了)
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